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タロウさん、パートナーとの悲しい別れ(木曽馬編)

お母さんや群れの仲間達と結ばれた、穏やかで温かい絆を突然断ち切られたタロウさん。
悲しみと不安に心が張り裂けそうな気持ちで、泣いても暴れても、その思いは誰にも通じない。
馬運車の暗くて外が見えないバンに、何時間も閉じ込められて運ばれてきたタロウさん。

今回もちょっと長くなってしまいました。
最後まで読んで頂ければ嬉しいです。


タロウさんの新たな居場所と生活

着いたのは山梨県の乗馬クラブ。
対馬と違って、甲斐の山々の冬は風が冷たく、気温が氷点下に下がり、地面が凍ることは珍しくありません。
いきなり母馬や仲間達と離されて、見知らぬ場所で、経験したことのない厳しい環境に身をおくタロウさんは心身共に、どれだけ不安だったことでしょう。

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タロウさんは群れの他の対州馬とは異なり、まだ乗用馬としての調教を受けてはいませんでしたから、今後、ここで調教を受けて、乗用馬として生きてゆかねばなりません。

これからは、タロウさんにしてみれば・・・
いつでもいきなり来て、一方的に自分勝手に「毅然としたリーダーシップ」とか「馬に舐められてはいけない」などという考え方の生き物が、自分の背中に跨がり、その生き物に車やオートバイのように「運転」されることに服従しつづけることが求められます。
(この部分は、若かりし頃の私の深い反省を込めて。でも、大方の人も似たり寄ったりでしょう。人によっては馬に対して、ずっとそのままの姿勢で向き合う人も少なくありません。)

対馬では口に入れたことのない、そして噛みたくもない「馬銜(はみ)」という金属を無理やり、口の中に噛まされ、その両端に連結した手綱をもった、背中に跨がった生き物から、右へ左へグイグイと口を引っ張られ。

その生き物が履く乗馬ブーツの、かかとの部分に着いている「拍車」という先端がとがった金属や、ギザギザの歯車で、自分の脾腹をグリグリされて、その意味が分からず反応できずにいると、「重い」だの「鈍感」だのと言われて、さらに何回も何回も脾腹を拍車で蹴られ。

「鞍(くら)」という、自分の背中になじまない馬具を載せられて、背骨や肋骨に違和感を感じ、腹帯(はらおび)というベルトできつく腹をギュウギュウと締め付けられ。

いい加減に頭にきて、思いっきり尻っ跳ねして騎乗者を落とすと、今度は一方的に「危ない馬」というレッテルを貼られ、「矯正」という名の、今まで体験したことのない強烈な「しつけ」をされ。

馬の「力」を消耗させて、おとなしくさせるためだけに、調馬索運動で死ぬほど走らされ。

もう対馬での日々のような、穏やかな人々や仲間の馬たちとの、優しさに包まれた生活とは別世界。
痛くて苦しくて、息がつまる他者との関わり合いの中に投じられてしまいました。

※馬は、人馬の安全のために「馴致(じゅんち)」というプロセスを経て、乗馬や競馬、農耕、運搬など、人と生活を共にするスキルを身につけます。虐待とは異なりますので誤解のありませんように。
ただ、それはあくまでも人が馬に求める用途、人の都合であって、馬にしてみれば、上記に書いたような表現は、あながち間違ってはいないでしょう。
また、未熟な人間が行う馴致もどきは、感情的で野蛮な行為になることも、残念ながら多々あるようです。
古今東西、馬に敬意を払い、自分を律することができる馬術家は、このことをとてもよく理解していて、独りよがりにならず、理にかなった、馬との信頼関係構築に重きをおいた馴致をされています。


タロウさんのパートナー

そんな日々を過ごすタロウさんですが、幸運だったのは、その乗馬クラブのオーナーさんやスタッフ達が皆、優しい人々だったことです。
(調教を受けるタロウさんの気持ちはさておいて。)

今までの生活とは一変してしまい、厳しくて慣れない生活ではあるけれど、トレーニングが終わると、馬体をブラッシングしてもらい、蹄の手入れも念入りにしてもらい、馬房に帰ります。

新入りのタロウさんは、馬術競技などに出場するルーカスのような馬や、サラブレッド達とは離して、同じ日本在来馬の木曽馬の牝(メス)の隣の馬房に入れてもらいました。
この木曽の牝馬(「ひんば」、メス馬のことです。ちなみにオス馬は「牡馬」、「ぼば」と読みます。)はとても穏やかな性格で、悲しみと不安に暮れ、慣れない生活で混乱する、まだ子どものタロウさんを優しく受け入れてくれました。

壁の真ん中から上半分が空いていて、お互いに顔をつきあわせることができる隣の馬房に、優しい木曽馬がいてくれたお陰で、タロウさんは徐々に悲しみや不安と向き合いつつも、新たな環境を「受容」し「調和」を取り戻し始めます。

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上の写真:左が木曽馬。右がタロウさんです。


今も忘れられない光景

私の馬の師である、御殿場の先生のお弟子さんから、この乗馬クラブがタロウさんを手放す予定だという情報を受け、私たち家族がタロウさんを受け入れると決めて、家族でお金を支払いに行ったときのことです。
(ちなみに、この話があった瞬間、まだ見ぬタロウさんに対して、これは「縁」だという確かな直感が、私たち家族にはありました。普通は実施される馬の事前チェックさえする気はありませんでした。)

オーナーさんにお願いして、初めて会ったタロウさんに乗馬している間、馬場にいるタロウさんに向かって、この木曽馬が馬房の窓から顔を出して「ヒヒーン」と声をかけるのです。
すると、タロウさんも呼応して「ヒヒーン、ヒヒーン」と返します。

しばらくすると、さっきとは反対に、私を乗せているタロウさんが馬房にいる木曽馬に「ヒヒーン」と声をかけます。
すると、さっきから馬房の窓から顔を出して、ずっとタロウさんを見つめている木曽馬が、タロウさんに向かって「ヒヒーン、ヒヒーン」と応えます。

タロウさんに乗っている私は、この2頭のやり取りが楽しくてしょうがなく、しばし見入ってしまいました。

「タロウ、がんばってるね~。」
「待ってて、もうすぐ終わるから。」

「このおじさん、緊張してるよ~。」
「落としちゃダメよ~。」

そんなやり取りでもしていたのでしょうか。
これを2頭で延々とやるのです。

このやり取りを見て、この2頭を引き離すことが不憫になり、失礼と不躾を承知で「木曽馬も一緒に譲っていただけないか」とオーナーさんに申し出たところ、「この木曽馬は、森林トレッキングの際に先頭を行かせる馬で、この馬がいないと他の馬が落ち着かず、お客さんを危険な目に合わせてしまうので、この木曽馬は手放せない。まだまだ稼げるし。」とのことでした。

この初対面から約1ヶ月後、私はこの乗馬クラブに1週間ほどファームステイして、タロウさんの日々の生活を学び、葉山への受け入れ時の準備事項などをまとめました。

この1週間で私は、タロウさんと木曽馬がとても強い絆で結ばれていることを、馬場や厩舎で何度も何度も、この目で見て、そして心が痛みました。
「あと1ヶ月で、この相思相愛の2頭が離ればなれになってしまう。自分がこの2頭を離してしまう。」


タロウとホッパー

この写真も左が木曽馬。右がタロウさんです。
この2頭の表情をよく見てください。


タロウさんは今、ここ葉山にいます。
15年前、故郷の対馬で母馬や仲間達と、突然、離ればなれになったこと、
10年間一緒にいた木曽馬と、今また突然、離ればなれになることを、
タロウさんはどういう思いで受け入れたか。

それを考えると、「タロウとルーカスは、絶対に離してはいけない!」で書いた、タロウさんの行動とその時の感情が、痛いほどよくわかるのです。

乗馬クラブの都合と私たちの都合。
この人間の都合に翻弄されて、生きていかなければならないタロウさん。
そこにタロウさんの意思表示が受け入れられることは、まったくありませんでした。

犬や猫、鳥や魚、虫までもが「自意識」と「感情」をもっていることは、世界中の動物行動学者が実験により実証していますし、論文もたくさん発表されています。
でも、そんな実験などなくても、学問的にエビデンスなどなくても、「生き物に心がある。」というのは、「当たり前のこと」ではないでしょうか。

私たちはもう、タロウさんの涙を見たくありません。
タロウさんは今日も、訪れる人々に寄り添い、皆さんの心を癒やしています。

おしまい。

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