【馬と人の関係】共に在る
馬と一緒にいると心が癒されます。
でも、馬に何かをさせようとか、新しいことを覚えさせようとか、「…させよう」と思った瞬間、馬に対して何かを期待した瞬間に、馬にも人にも「微かな緊張」が走ります。
一方で、馬といい関係を築き、幸せな人生を送りたければ、必要なのは「無限の忍耐」、すなわち「待つこと」だとも、よく言われることです。
忍耐かぁ。
待つかぁ。
馬とともに何かをするとき、忍耐することも待つことも、それは行為としては、本当に大切なことで、忍耐の結果、待った結果、馬からもたらされるギフトを得るという経験をした時は、本当に喜びに満ちた瞬間となります。
でも…
忍耐も、待つことも… 辛いんです。
そんなに忍耐できたら、そして待てたら… 苦労しません。
いくら忍耐の後に、待った後に、喜びのギフトがあったとしても、
忍耐のさなか、待っている最中は、それは結構つらいものです。
思い通りに進まないときや、結果が出ないとき、
人は、
腹立たしくなったり、
周囲の環境や条件のせいにしたくなったり、
自分を責めて泣きたくなったりします。
ヒトやモノに八つ当たりさえします。
人がそんな気持ちで大揺れのときでも、
馬はと言えば… ただ、ありのままに…
そこに… 「在る」。
100%ありのまま…
ん?!
あ、そうかぁ!
自分も、ただただ、この状況で、ありのままでいればいいのか。
もう何分費やした!という「ストップウォッチ」の考え方や、
あと何分しかない!という「タイマー」の考え方を止めればいいんだ!
時間を気にすると、結果が気になりはじめ、
結果を気にしだすと、時間が気になりだす。
つまり、せっかくの「馬」との関係が、自動的に「時間」との関係になる。
結果を気にするから、「忍耐」であり、
時間を気にするから、「待つ」ことになる。
「経過時間」と「残り時間」という感覚を消せばいいんだ!
そうすれば、最初から時間が気にならないから、待つことにはならない!
結果を待っていないんだから、忍耐にもならない!
時間というものの感覚から離れたら…
結果を求めるという執着を離れたら…
ん!
ただ、馬と共に「在る」。
うん。この感覚は、確かなものだ!
ただ、ともに「在る」…
自分はいま、確かに、馬と共に「在る」。
感じはじめる… 馬の息吹。
馬という存在そのものを…
求める「結果」も、そして、減っていく「時間」もない馬とのひと時。
おぉぉぉ! ルーカス!! すごい!!
タロウ! できるじゃないか!!
求めていた結果を離れ、気にしていた時間から離れ、
共に「在る」状態…
なぜか、あれほど焦って求めていた結果を、
難なく見せてくれるタロウとルーカス。
ちょっと目頭が熱くなってきます
タロウ、ルーカス。教えてくれてありがとう。
結果に対する執着はいらないけど、
イメージだけは静かに維持できる。
共に「在る」って、こういう感覚だったんだね。
※引用部分は、ホースハーモニー読本(©株式会社葉山ハーモニーガーデン)からの引用です。