【人と人の関係】長女の叫び。Think like a horse その2
Think like a horseは人の心のひろさの分だけしかできない。
Think like a horseは人の心以上にはならない。
だから謙虚さが必要。
1. 謙虚さとは
謙虚さとは、卑屈さと傲慢さのどちらでもない、均衡がとれている状態のこと。
引用:ホースハーモニー読本(©株式会社葉山ハーモニーガーデン)
当時の教えが、今ならわかります。
均衡がとれている状態とは、ただ「在る」状態。
ただ「在る」わけですから、広さという概念とは別次元。
つまり、広さは無限であるとも言えます。
Think like a horseのために心を「広く」しようとすれば、
結局、自分の心の限界に直面し、自分を責めてしまう。
往々にして、自分の心の「狭さ」だけが見えてしまう。
だから村上先生は「謙虚さ」を付け足したのだと、
いまならわかります。
「馬」を「娘」に換えてみます。
娘は何をもって、私が娘を
「観て」いないと思ったのか。
「感じ」ていない、「察し」ていないと思ったのか。
なぜ伝わらないのか。娘の眼になって、自分を観る。
娘の耳になって、自分を「聴く」。
娘の心になって、自分を「感じる」。「受け入れ」てみる。
ん。わかった。娘の心的、位置的パーソナルスペースに入りすぎ。
娘が感じるのは、自分のパーソナルスペースに私が入り込むことに対する窮屈感。
私の、既に結果が見えているかのような物言いに対する焦り、急かされ感。
娘自身の考えが入り込む余地がなさそうなくらい、既に答えを持っているかのような私の態度。(私には既知でも、娘には未知)
他にもいろいろ気づきます。
馬に対する接し方を教えてくれる父親の言行不一致に対する矛盾感。
娘は心底腹を立てている。悲しんでいる。寂しい思いをしている。
自分の未知と父親の既知を、閉塞感として感じている。
このようなことに気づくと、娘が感じている様々な感情は、私自身の感情として感じられてきます。
2. 娘と私の関係はどうなったか。
最近、たまにあるのは、「さっきはごめんね。」、「夕べはごめんね。」という娘からの言葉。
そして、心から「パパの方こそごめんね。でも、教えてくれてありがとう。」
(本当はもっともっと反省していますが、言葉になるのはせいぜいこのくらいです。言葉にならない感謝の気持ちも。)
この、お互いの伝わった感が私の宝物。
Think like a horse. (馬のように考えなさい。)
Look as a horse.(馬になって観なさい。)
Listen as a horse.(馬になって聴きなさい。)
Feel as a horse.(馬になって感じなさい。)
Be a horse.(馬になりなさい。)
引用:ホースハーモニー読本(©株式会社葉山ハーモニーガーデン)
他者から言われると感じる反発と強制感、そして自責。
自らの気づきに基づく変化とその後のハーモニー。
馬を通して得られる気づきの世界は、とてもシンプルな世界です。
※今は中学生、思春期の娘はさらに鋭い感性で、短い言葉で本質を突いてきます。(あ~、師匠と呼ばせて下さい。父より。)
※タイトルのテントウムシは長女の撮影です。(^^)
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