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#33自分の心にいる小人さんには悪者はいない~交流分析の自我状態~

 こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!

 #31と#32では、人と馬との交流分析ではなく、人と人との交流分析についてお話してきました。この「交流分析」というのは心理学の1つの手法なんでしたね。今日は#31と#32の続きなので、まだ読んでないよ、という人は#31から読んでください!

 
 馬と人との交流体験から人々が役に立つことをお伝えするというのが僕の役目なのですが、今回も含めて数回かけて、この心理学的手法「交流分析」についてお話ししています。

 というのも、僕の経験に基づく解説だけではどうしても学びがぼんやりとしてしまいがちだからです。#29まででお話してきたH.O.R.S.E.理論は僕が馬との交流の中で発見した「人間本来のあり方」なんですが、「そう在れたらいいけどどうしたらいいか分からない」となりがちで、どうも具体的な提案に欠けてしまいます。

 でも、世の中には、人と人との交流を細かく分析することを通じて「人間とはこういう在り方」なのだ、というのを発見し、在り方だけではなく行動にまで落とし込んだ学問があるんです。それが心理学の「交流分析」です。

学びを言語化するために心理学を紹介していきます

 じゃあ、それとの一致を見ていかない手はないよね、ということで「交流分析」をまず皆さんにご紹介したいわけです。

 今日のラインナップは!今日も交流分析のコアな考え方である自我状態について深掘りますよ!
・自我状態に良いも悪いもない?
・自我状態それぞれの有益的な表れ方、非生産的な表れ方

 前回まで読んでいただいて、自我状態に優劣があるような、例えばなんとなくCPが高いのって微妙なのかな、とかFCが高い方が良いのかな?とか思われたんじゃないかな、と思います。

 実は、違うんです。この理論では、状況に応じて向いてる向いてないはあるにしろ、どの要素も同じくポジティブに(状況にとって有益的に)出ることもあればネガティブに(状況にとって非生産的に)出ることもある、としています。そのあたりをまず説明していきます!

自我状態に良いも悪いもない

 
 改めて自我状態の復習をします。自我状態とは「今、ここの在り方」でしたね。そして、自我状態は5つに分かれるんでした。そして、その5つとはCP(批判的親)NP(養育的親)A(大人)FC(自由な子供)AC(適応した子供)でした。

 前回はその5つの自我状態を誰もが持っている、というお話をしてきましたね。どれがよく出てくるというのは人によって違うと思いますが。

 5つをちゃんと把握してないよ、という人も大丈夫です!ざっくり、P(Parents)A(Adult)C(Child)のイメージがあれば大丈夫です!

 親みたいなP、冷静な大人のA、子供みたいなCです。あなたの友達の名前でもつけておくと良いかもしれませんね!あくまでイメージのためだけでお願いします(その自我状態はそのお友達にとってもある一面でしかないはずだからです)。

 さて、前回それぞれの要素について説明した時に、例えばCP(批判的親)の自我状態は「〜すべき」という言葉を発しがちというお話をしました。

ルールに厳しい親御さんのイメージです

 こういう心理学とか哲学とかのお話を読み慣れてる方なら、「〜べき」とかってあまり使わない方がいいんじゃない?と直感的に思われるんじゃないかな、と思います。

 一方で、時としてちゃんと他者に対してルールを示すことも大事なんじゃないの?というご意見もあると思います。

 どちらも正解です。例えば、こんな話があります。

 ある子供がお母さんの誕生日に何かをプレゼントしようと思いつきました。そして、近所の家に生えていた薔薇の花を取ってきました。そして、お母さんにそれを見せると喜ぶどころか困ったような、怒ったような表情になりました。そして、「その薔薇どうしたの?他人の家から取ってきちゃダメでしょ」と言いました。

こんな時子どもにルールを教えるべきか、期待にそうべきか…難しいですよね

 このお母さんの態度がCPです。お母さんは薔薇を貰った喜びよりも、「その薔薇がどこから来たか、問題ないだろうか?」ということが先に来たわけです。

 このCPに良いも悪いもないのはわかりますか?

 子供に正しいことを教える、というストーリーから言ったらそのCPはとても大切です。子供の人生にとって重要な教訓となるでしょう。

 一方で、子供の気持ちに感謝をしなかった、ということも同じくらい重要なことになり得ます。子供は自分の思いやりが無視された、という受け取り方をしてもおかしくないのです。

 このように、同じ態度から発せられた同じ行動にも、文脈によって善悪が異なる(もしくは判断不能)ということが分かります。ちなみに、世の中の大概のことがこれに当てはまります。人を殺すことだって正義の名の下に行なわれることがあるのですから…。

そもそも善悪って何か…ということについてはまたお話しする機会があればいいなと思います

 つまり、自我状態がポジティブに働く文脈もあれば、ネガティブに働く文脈もあるよ、ということです。これは、どの自我状態についても同じです。ここでいうポジティブ・ネガティブというのは「働きかけの受け手にとって」どうであるか、という文脈なのも注意してくださいね!

自我状態それぞれの有益的な表れ方、非生産的な表れ方

 ここからは本当にどの自我状態でもそうなのか、ということをお話ししていきます。

 CPについてはもう最初の例で見たので…NP(養育的親)から見ていきましょう。NPという自我状態は優しそうでなんとなく悪い所なさそうですが、皆さん絶対に身近にNPがネガティブに働いている人を見たことがあります。

 お節介な人です。NPが行き過ぎて、状況をうまく見ることが出来ずに首を突っ込み過ぎてしまう、そしてそれが本当に親切心から来ているから何とも断りづらい。そんな人いますよね。

親切心のつもりが…

 Aという自我状態の良いところは冷静でいられることですが、それによって冷徹に見られることもあります。

 FCという自我状態の天真爛漫な人と一緒にいるととても楽しいですが、そんな人がシリアスな場面でジッとしていられなかったとしたらどうでしょう?

天真爛漫は大惨事を招くことも(笑)

 ACという自我状態の人は、自分の指示をとてもよく聞いてくれる部下になるでしょう。でも、そういう人はどうしても自発性が低くなります。

 ここまでで5つの側面全てに長所・短所両方があることを見てきました。同じ自我状態なのにこんなに表れ方が違うんです。

 ここで自我状態の一覧表をお見せしますね。

 このように5つの側面全てに良い表れ方と悪い表れ方があります。しかもここでいう良い・悪いも状況に合っているか、合っていないか、ということでしかありません。

 ということで、今日覚えてほしいことは「どの自我状態にも良い側面と悪い側面があるらしい」ということです。

 

 というわけで、次回からはより実践的に、交流する2人の自我状態によってどのような交流が起きるのか、どのように自我状態が変化するのか見ていくことにしましょう。

 明日も1日頑張りましょう!


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