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不便は自由を生んでくれる_手帳が脳に馴染むと手にも馴染む
手帳にいい感じに書きたくって
いい感じのリフィルを使ってみたり
いい感じの書き方を学んでみたりするのに
なぜか続かない。
続けようとせず
なんとなく書いているスタイルに限って続く。
なんとなく書きながら
なんとなく書き方を変えている。
アップデート….
書きながら自分にとって見やすい書き方を模索している。
その変化は客観的に見ると
とても不細工だから
見栄え良く細工したくはなるんだけど
細工しようとするとアップデートに専念できない。
だから、
細工思考は排除して
その日のベストを尽くす。
今日もアップデートを続けていく。。。。
手帳の目的を考える
書くことが目的ではない。
手帳は、何かを達成するために必要なだけ。
残すために
引き出すために
日常のささいな出来事を残すために手帳に書く
今にも消えて無くなりそうなアイディアを残すために手帳に書く
ずっと忘れたくないことを手帳に書く
モヤモヤすることを吐き出すために手帳に書く
やりたいことを見つけるために手帳に書く
順序の整理を書き出すために手帳に書く
関わり具合を見渡すために手帳に書く
手元の寂しさを埋めるために手帳に書く(こういう気持ちの時は、だいたい落書き….)
一体自分は手帳で 何を達成したいのか?
書かなくても気にならない
書くことが目的ではないなら、
書かない日があってもいいはず。
目的が順調に遂行されていて
書かずに済むのであれば
それでいい。
手帳というツールを経由せずに
作業を進められている自分はスゴイ…ということにする。
数日ぶりに手帳を開いた時、
書かなかった空白に反省せずに済むように
日付は当日書くスタイルがしっくりする。
書きたいこと
印刷されているフォーマットに合わないことが多い。
だから、無地が好き。
無地に書く習慣が身についてから、
罫線が無くても真っ直ぐ書けるようになった。
でも、字の大きさは罫線があったほうが細かくならない。(要訓練事項🔥)
すぐ書けて、いつでも引き出せる
手帳を本棚にしまうと
「本棚から手帳を取り出してまで書くことではないかな…?」
という怠惰な自分が顔を出す。
ちょっとしたことでも書いておきたいことは
いつもいるソファーの隙間に挟んでおく。
そういう内容はだいたい一言で終わるようなメモ
小さい手帳に委ねておく。
小さい手帳をパラパラ見ていると
もう少し詳しく考えたいトピックが見つかる。
今度はA5サイズの大きな手帳を本棚から出して書き出してみる。
書いていると過去に似たような内容を書いた気がしてくる。
その大きな手帳をパラパラめくる
すると、見つけられる。
見つけたページの片隅にもう現役を引退した手帳の番号がメモしてある。
引退した手帳データはPDFにしてObsidianで管理してある。
PCを開いてさっそく手帳にメモしてあった番号で検索…..
あの時はこういう発想だったのか、、、、。
そこからこういう解釈になって、
今はこう考えているのか。。。。。
こういうの、結構楽しいw
意識的に行う考えのサイズは用紙のサイズ
今、手にしている手帳の大きさはどれくらいか?
小さい手帳ばかり手にしている日が続くなら、
様々な情報に触れて点を打つ時期なのかもしれない。
大きな手帳ばかり手にしている日が続くなら、
思考を広げて今までのアイディアを必死につなげている最中なのかもしれない。
中くらいの手帳ばかり手にしている日が続くなら、
必要な内容をいつでも取り出せるように蓄えてる時期なのかもしれない。
いや、ちょっと拡張気味な思考を残しているかもしれない。
用紙の大きさによって
思考のちょうど良さがある。
大きすぎると負担だし、
小さすぎると手狭さを感じてしまう。
書こうと思った瞬間に
脳が喜ぶ遊び場を選ぶ。
大きい用紙に存分に書けた時の達成感
少し小さい用紙でも足りるのではないかという野望が生まれ
試行錯誤の末にまるっと収められた時の達成感
書かなくても処理できることが増えた証なのかもしれない。
ずっと書いている時は
ずっとチャレンジングなことをしているのかもしれない。
小さくなったり、大きくなったりさせながら
目的の達成を夢見て
今日も手帳を使い続けています♡(´·ω·)(·ω·`)♡
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