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眠れるnote
noteに投稿しはじめて、もう半年となる。
変にネタを探しすぎて、書けなくなったときもあったけど、おおむね順調に続けられている。
初期の記事を見返すたび、だんだん文章がうまくなってる…のか?と不安になることもある。
まあ、多少なりとも上がっていると信じたいところ。
あと、長く続けていると、もう一つ気づくことがあった。
ときどき、自分の進歩を確認しようと思って、逆にセルフでへこむ僕とは別に、昔の記事がポツンと読まれることがある。
何の脈絡もなく読まれた文章。
うーん、物好きな人もいるもんだなぁ…
〇
他人のnoteを読んだとき、あ、この人自分の考えと似てる!と発見して、つい嬉しくなることがある。
そうなると、他の記事も読んでみたくなる。
スクロールしていくと、妙に惹かれるタイトルに遭遇する。
きっと、そういう文章を求めてる時期だったのだと思う。
読み進めていくと、やっぱり響くものがある。
こういう言葉を探していた!と、思える部分にあふれている。
迷うことなく、「スキ!」に手が伸びる。
"物好きな人がいるもんだな~"
どこかで聞いた心の声が、ブーメランのように返ってきた。
ああ、そういうことか….
きっと、そういうことなのだ。
〇
この論文は、自分に発見されるために何十年も眠っていたのだ。
ある研究者の言葉。
確かこんな感じだった。
どこで見たかは覚えてない。
だけど、言わんとすることは忘れていない。
研究というのは、役に立つかどうか分からないものだらけだ。
いつか日の目を浴びるかもしれないし、ずっとホコリをかぶったままかもしれない。
だけど、論文という形に残されていることに意味がある。
いつかだれかが、棚の奥の奥から引っぱり出して、宝石のように愛でられる日のために存在しているのだ。
noteもそれに似てる。
だれかの"あのときの思い"が、他のだれかにとって"タイムリーな言葉"になる。
文章がぐちゃぐちゃだろうがなんともない。
論理をおぎなうに、あまりある信頼感があるのだ。
同じような"思考の迷路"のなかをたどってきた人には、無意識に行間をうめることだってできるから。
好きなアーティストが一緒で、マニアックな曲でも一緒になって語り合えるときみたいに。
きっとそんな文章に出会えたこと、それ自体にみんな満足していて、どんな高尚な作家の言葉よりも意味を感じているのだと思う。
熱というより、あたたかみを持っていて、納得というより、安心にみちびいてくれる。
そんな、あなたにとっての"眠れるnote"は、もうどこかにあるのかも。
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