はやぶさ
中学以来、人生の片隅でなんだかんだ影響力を持っていたバンド。 スピッツの歌詞の事と過去のお話を絡めて。
青春はもどかしい。色々思い出して、色々感じて言葉をひねり出せれば良い傾向。 人生も記事も双六のように行き当たりばったり。
大学の研究室は、学部生にとっては未知の場所。
僕なりに考えたことを記事にします。 若さ由来の知識不足により、記事がアップデートされていくことも間々あり。
夏祭りの出店、街頭の募金箱・・・ 子どものころ、僕の心をまどわせていたものだ。 といっても、ほかの人とは少し事情がことなるのかもしれない。 低い視線をすこし上にもっていくと、焼きそば、たこ焼き、りんご飴とかの出店が両脇に立ちならんでいた。 そして、出店の前にできる背の高い人たちの列。 お店がちゃんと売り上げて、お客さんがお祭りを味わえて、誰もが良い気分になる。 自分が楽しければ、お祭りは楽しいものなのかもしれない。 だけど、幼い僕にとっては、その光景も大きなよろこびのひとつ
「セーブができない」 プレステの思い出は、そんな苦い経験からはじまった。 僕の家にプレステ2がやってきたのは小学3年生のクリスマスだった。 枕元にあった、サンタクロースが届けてくれた大きな包みを開けると、それは姿を現した。 ずっとあこがれていたのに、カタログとかマンガ雑誌の1ページから出てきてくれなかったものが、今目の前にある喜びはほんとに大きかった。 その熱が冷めやらぬうちに、テレビにつなぎ、電源を入れ、ソフトを起動した。 問題が起きたのは、いったんセーブをし電源を落と
ハリーポッターを観たことがなかった。 これまで22年間生きてきて1度も、だ。 高校生のとき、USJでハリーポッターのエリアが整備された。 そして、実際に行った同級生がおみやげとして「百味ビーンズ」というストーリーの中でも出てくるグミを買ってきたことをおぼえている。 チョコやイチゴといった一般的な味から、臓物、耳クソといった魔法の世界ぽい?不気味な味までとりそろえた人気商品らしい。 「お、あの映画出てきたグミじゃん!」 「懐かしい!」 ハリーポッターとともに過ごしてきて、口
「すばらしい」 それが研究室の人たちの口ぐせだ。 決してすばらしくない僕に向かって、いとも簡単にそんな言葉をかけてくれる。 毎日自分で起きてればすばらしいし、授業に時間通りに間に合えばすばらしいのだ。 そういう人は尊い。 どの場面もプラスに汲みとって、いいところを見つけてくれる。 そんな雰囲気に触れたとき、僕もそうなりたいと思った。 変にその言葉の意味を意識してしまってなかなかうまく言えないことも多い。 小さい声になってしまったり、口ごもったりしてしまう。 だけど、言おう
「熱い思いを持ってるね」 友達とか知り合いと話してて、たまにそう言われる。 たいていは自分の普段考えてることとか、どうなりたいのかを話した末に出てくる一言らしい。 もちろん、そんな風に形容してもらえるのはうれしいけど、どう返答していいか分からない。 "熱"といわれるほど、高尚な信念を持ってるわけでもないし、覚悟を持っているわけでもない。 だけど、冷めているわけでもない。 「そうですかね」 腑に落ちる表現が見つからない。 だから、毎回、困ったような笑顔であいまいな答えにな
一年前にカメラを買った。 きっかけはスマホの望遠に満足できなかったこと。 アップにするとどうしても画像が荒くなってしまう。 撮りたいものが、に口惜しさがあった。 自分の目で見た瞬間、景色を切りとりたいと思っても、ざらついた世界へと変換されてることに、どこかむずがゆさを感じていた。 そんなこんなで、カメラ購入にいたった。 そして、切りとる「瞬間」を探しに、東京へ向かった。 〇 雲間から その日は、早起きで眠かった。 だけど、スカイツリーを目の前にして、眠気はどこかへ飛んで
ポケットを探っても、そこにスマホはなかった。 壊して修理に出しているとか、うっかり家に置いてきたというわけではない。 「今日はスマホなしで生活しよう」 そう心に決めて、わざと置いてきたのだ。 だけど、そんなことすっかり忘れてしまっていた。 その代わり、家を出る直前、後ろ髪を引かれるように部屋を振りかえったことを思い出した。 電灯の消えた中で、小さなスマホは大きな存在感を放っていた。 〇 まるで僕らはエイリアンズ 禁断の実 ほおばっては 月の裏を夢みて (エイリアンズ
「落ちてるゴミは、気づいた人が捨てましょう!」 小学校低学年のころだっただろうか。 担任の先生の闊達な号令に、大きく返事をしていたおぼえがある。 子ども心をくすぐられ、先生に認められたくて頑張って拾っていた。 「ちゃんと拾ってえらいね」 そう言われると、ますますやる気が出る。 だから、どんどん落ちてるゴミに敏感になっていく。 でも、そんなことお構いなしの同級生だっている。 「めんどくさいからいいや」とかそんな感じだったんだろう。 僕みたいに床に目を落とすことなく、教室を
最近、行きづまりを感じている。 自分がやっていること、考えていることが、理想の自分とかけ離れているのだ。 成長は誰かと接したり、目新しい経験をすることでうまれる。 だけど、最近はそんな機会から遠ざかっている。 自分の手のひらの上でおさまることを、ころころ転がしている自分。 そして、それに気づいている自分。 道端に石が落ちていたら、毎回蹴りたくなる。 自分への不満を思い出すたびに、舌打ちしてしまう。 こういうときはたまにある。 現状が心地よかったり、心と体が一致しなくかったり
歌詞が好きだ。 特に、恋や友人、子どもの頃といった青春を思いださせるものにいつも後ろ髪を引かれる。 若さ由来の、ちょっとひねくれてて、それでいて控えめでうぶな歌詞が、耳というより思い出にガーンと響いてくるのだ。 〇 みんな大人になってく 1人道を歩いて だけどいつもついてくる そんな思い出作れたらいいのにな (通学路/Whiteberry) みんな少しずつ大人になる。 垢ぬけたスーツ姿。 いつのまにか仕事をはじめた友達。 まだ夢を追う幼なじみ。 だんだんみんなが遠
Amazonのコンビニ受け取りを使うようになった。 今にはじまったことじゃないけど、利用機会は右肩上がり中だ。 というのも、再配達を繰りかえすうちに、配達業者への申しわけなさが募って、いっそのことコンビニ受け取りにしようと思ったのだ。 まあ、そうした方が時間にもしばられないし。 …と、そんなこんなのいきさつを思い出しながら、コンビニへ向け、街灯にてらされた夜道を歩いていた。 荷物が届く日であっても、夜遅くまで大学で過ごしたっていい。 もはや配達で、誰かを困らせることはないの
"彼女"という言葉には、ずいぶん悩まされてきた。 同級生の女の子とかと話してて、楽しいと思うことはたくさんあったけど、その先に何かを見すえるのが得意ではなかったから。 「男子と女子が仲良くなって、行きつく先はひとつだけ?」 そこに対するモヤモヤは、長い間ぬぐいきれなかった。 正直、今でも残ってる。 昔、仲良かった女の子の話。 クラスが一緒で、毎日ふつうにおしゃべりしてた。 この関係、友達以上恋人未満が保たれてること。 それが心地よかった。 「あなたのこと、好きらしいよ
5月1日から、新しい時代が幕を開ける。 元号発表の瞬間に立ち会うことはできなかったから、ニュースで確認した。 「令和、いいですね」 「予想と違って意外だった」 感想は、人それぞれ。 だけど、一つ言えるのは、これから訪れる新しい時代に、みんな夢中になったということだ。 「スクランブル交差点」とは名ばかりに、その足を止めて大型モニターに注目する歩行者。 "映え"なさそうな「令和」という二文字を背に、記念撮影するインスタ女子。 時間の流れや、物事のしくみが変わるわけではない。
「社会人大学人見知り学部卒業見込」(著・若林正恭) 「考えすぎだよ」とたしなめられたり、周りの人に中々同意してもらえない人の心のうちを代弁してるような本。 若林さんの、ひねくれながらも誠実で素直な文章にあふれています。
僕には「決断」をためらってしまうとこがある。 それは、他の人からみれば「ちっぽけな決断」であっても、だ。 起きる可能性のひくいことを想像してこわくなったり、もう引き返せないのでは?と、妙に勘ぐったりするからだ。 考えすぎだということは、自分でよく分かっている。 それでも気にしてしまう。 そんな自分が、今でも嫌いだ。 ただ、昔と比べたら「決断」に対するハードルは低くなってきている。 なぜだろう。 それは、奇しくも「決められない自分が嫌だ」と悩んできたことがもたらした、ラッキー
「生きづらさ」といっても、自分が感じてきたものが、どの程度の物なのかは、分からない。 0~100の中で、けっこう大きな数字だったかもしれないし、もしかすると1桁程度のものだったかもしれない。 ただ、人と違うと感じてきたのは、紛れもない事実。 相手の発言を妙に勘ぐったり、何気ないことをひどく思い悩んだりと繊細な世界を生きてきた。 それに対して、何を思うのかと考えたとき、やはり「生きづらさ」という言葉がしっくりきたのだ。 昔は、嫌なだけだった「生きづらさ」。 ただ、嫌なとこだけ