クリスマスの喪失
一年が終わる。
自分の中ではこの時期からもうすでに来年へのカウントダウンを始まっているのだ。
子どもの頃はこんな早くなかったのに。
「クリスマス」という楽しみが年々失われている。
プレゼントをもらえることもあるが、それは目の前にいる親しい人たちからであって決してトナカイに乗ってやってくる白髭のお爺さんではないのだ。
何より自分でも買えそうなものが増えてきた。
高望みをしなければ、今頭に浮かぶ欲しいものの最高額はぜいぜい1万円程度の物だ。
一年が終わることが真っ先に意識に上るのは、そういった「クリスマスの喪失」も一端を担っているだろう。
子どもの頃は「一年が終わる」という意識より「クリスマスがやってくる」というワクワク感に支配されていたのだ。
そしてその後にお正月。
所謂、これが「大人になる」というやつか。
幸か不幸か大人になるにつれ、色んな魔法から醒めていく。
「夢ってなんで見るの」「海外って本当にあるの」
生きていく中でそんな疑問はどんどんぼやけていってしまう。
そして新たな魔法にもかかっていく。
「こうしなきゃいけない」「あれが確実」
根拠がよく分からない不思議な言葉によって。
それが必ずしも悪いことだとは思わない。
身に付けなければならない常識、あるいはモラルは厳然と存在する。
ただ、幼い頃に思い浮かべていたこと全てが無効になるべきかと言われればそうは思わない。
石ころや側溝で遊んだように今あるものに満足出来たり、楽しみな日に丸をつけ、その日に向かってカレンダーにバツををつけていくようなときめきを忘れていくほど、大人になることは魅力的なのだろうか。
クリスマスまであと一か月もない。
そして今年も終わりが近づき、正月がやってくる。
子どもの頃には今頃ワクワクが止まらなかったのだろうか。
霞んでしまった記憶を思い起こしてみても、あの頃の気持ちを正確に書き記すことは出来ない。
なんだかんだ大人に近づいている自分。
だが、今でも何かにときめくこともある。
子どもっぽさを秘めた大人とでも言えばよいのだろうか。
仮に子どもっぽさを失ったとき、僕は悲しくなるのか。
それは生きてみないと分からない。