あれもセイシュン
今20歳になって、仕事中とか寝る前とか意識せずに急に気になったり、思い出したりする。
最近思い出したことといえば、就職活動してた時に「私はこんなにも努力ができるのだと実感しました」というワードを気に入っていたのを思い出した。
この努力は、高校3年間の部活動のとこを言っていた。
私が吹奏楽部を中学高校の6年間続けられたのは、小学生にもなっていない時5歳上の姉が小学校の鼓笛隊でトランペットを吹いていたときから気になっていたからだと思う。でも、実際小学4年生になって鼓笛隊改めブラスバンドでは早起きが苦手な私には辛く厳しい朝練習があった。ふたつ上の姉がミニバスと呼ばれるバスケットボールクラブに参加していたこともあり、ブラバンとミニバスを両立できるほど器用じゃない私は、半年も経たずにどちらとも辞めてしまった。
それでもやっぱり、楽器が吹きたかった。初めてブーっと音がなった喜び、「なんの楽器吹きたい?」って先生に言われて本当は姉と同じトランペットが吹きたかったけど、朝起きれなくて参加が遅れて周りより遅いスタートだったから、「なんでもいいです」って言った時先生から「じゃあトランペットね」って言われた喜び、初日にウキウキとした。でも辞めた。
中学生になると、吹奏楽部に朝練などなかった。ロードと呼ばれていた校舎を外周することにも、トランペットが人数オーバーで余っていたホルンという楽器になったことも別に苦などなかった。
楽器に触れるということが嬉しかったので、しゃべってばかりの女子集団がうざいとか、ピアノばっかり弾いて何も教えてくれない顧問とかムカついたけど、興味もなかった。
でもそんな練習場所だったから、もちろん上手にもならなかった。吹奏楽コンクールでもいい成績は残らないし、録音を聞いても感動もない音楽だった。でも下手くそながらにできないことをできるようにする練習、基礎の練習は楽しかった。
上手な学校の先生が私たちに教えにきてくれたことがあった。その時は音程とかピッチ感とかよくわからなかったけどB♭でチューニングをすることだけは知っていた。コンクール曲を見てくれた日だったと思う、「ホルンの1番左の子!あの子あってるからに音程合わせて」と言われた時、私があっているという事実が嬉しかった。やっぱりずっと下手くそだったけど、高校でも吹奏楽がしたいと思った。
お母さんに話したらノリノリで私の学力でもいけそうな吹奏楽の強い高校探してくれて、運良く推薦で受かって吹部に入部した。
強いだけあって同級生はみんな上手な子ばっかりだった。ホルンパートは5人希望者がいて、顧問と講師の先生を呼んで4人に絞るオーディションが行われた。
5人全員受かった。正直私は落とされると思っていたから、とても嬉しかった。
でも、夏のコンクールのオーディションには落ちて、コンクールにも出られないD編と呼ばれる編成になった。
周りより下手くそな自分、周りと違う編成、悔しくて悔しくてたくさん練習した。中学の時とは違い、周りはみんな上手だし、先生もしっかりしていてわからないこと、悩んだことがあったらすぐに相談できた。アドバイスもたくさんもらった。
気がつくと家から1時間弱かかる高校の7:30から始まる朝練習には、あまり遅刻もせず3年間しっかり続いた。悔しさから練習量を増やし、朝6:00ごろには学校について練習をした。
先生にも友達にはあなたは努力家だねと褒めてもらった。
一度も恋愛経験をすることなく朝も昼も夜もほぼ毎日練習ばかりしていたけど、それが今努力ができるという長所を見つけることができたのだと思う。
結果的に3年間努力してもスタート地点がみんなより後ろだったから、下手くそなままだったけど、あの頃に比べたらとても上手になったし、知識も増えた。
コンクールの大編成A編には一度も乗れなかったし、3年のコンクールでは私以外の4人はA編で、私だけB編というとても悔しい結果が残ったけど、
卒部式の時に先生からの手紙に「講師陣含めてもあなたが1番安定していると言われていたよ」という言葉はお世辞だとしても口がにやけるほど嬉しい…
あー思い出したら悔しいけど
良い経験だったな