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影をたどり、結末を迎えた。(映画「影踏み」を観て)

影は、いくら踏んでも痛みを感じない。

それはあくまで「自分」の視点であって、もしかしたら影本人は、痛みを感じ続けているのではないだろうか。

そんな雑な所感を許容してくれるほど、影は、メタファーとして様々な芸術作品に用いられている。光と影なら、たいていの人は「光」を選ぶ。しかしなぜ、影というのはこんなにもクリエイターの心を掴むのか。

どこまでも深淵で、捉えられない影のありように、映画「影踏み」も果敢に挑戦している。

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本作は、作家・横山秀夫さんの小説が原作となる。

彼の作品はこれまでも多数映画化されてきたが、どちらかといえば本作は、横山さんにとって「佳作」にあたるようなものだろう。実話をもとにした『64 ロクヨン』『クライマーズ・ハイ』などに比べると、フィクションの様相が強い。大きな作品を書くための習作として……というのは言い過ぎかもしれないが、物語の枠組みは決して大きくないのが作品作りの前提となる。

しかし本作が、日本映画によく見られるような「量産型邦画」ではないことは明らかだ。

原作者によって確固たる地位を築いていない作品であるゆえに、スタッフやキャストが自らの解釈をふんだんに盛り込む余白がある。決して明るい作品ではないけれど、悲しみの中に、作り手が静かにクリエイティビティを発揮している。こういうエンターテインメントがあるから、映画というのは面白いのだ。

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タイトルにかこつけて言うなら、影のように、ひとつずつ踏みながら物語が進展するような作品である。

サスペンスならではの伏線もあるけれど、伏線ありきというより、登場人物の心の内を丁寧に描くことに重きが置かれている。(逆にいえば、サスペンスとして期待すると、物足りなさを感じるかもしれない)

山崎まさよしさん演じる真壁は、言葉少なく、存在だけで怒りや哀しみを伝えていく。それは他者に対してだけでなく、自分に対してもそうだったんだと終盤に気付けるのは、地味だけど味わい深い仕掛けだと思った。

影を追いかけていったら、最後に結末が迎えるような感じ。

どんな結末だろうと予測するのがサスペンスの常だけど、最終的には「あたった」「あたらなかった」という感想なんてどうでも良いくらい、観賞後はうっすらとした影で、気持ちが覆われていく。

そこに驚きはない。当然の帰結のような筋書きに、刹那、いただけない思いを抱くのも確か。

でも、人生ってそういうものじゃないか。

そう、しみじみ思えるような感想を抱ける。人生とは、かくも影を踏むような手応えのなさと同居しているのかもしれない。

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もともと本作を観ようと思ったきっかけは、本作の監督を手掛けたのが篠原哲雄さんだったからです。彼が2004年に撮った「深呼吸の必要」がずっと好きでした。そのときは誰が監督なのか、ということを意識していなかったのですが、別作品を通じてようやく再会できた気持ちです。

(Netflixで観ました)

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