人類を守って、人間を犠牲にするという正義(アニメ「地球外少年少女」を観て)
Netflixで話題になっているアニメ「地球外少年少女」を観た。
AIが機械学習を繰り返し、人間の知能を遥かに上回って「神」としての存在になった近未来。「神」を完全に統御できず廃棄したものの、幾重にも知能制限をかけながらAIとの共生を模索する人類。
だが人間は愚かしくも争いを繰り返し、結果として1/3の人間が消滅しなければ地球を維持できなくなってしまった。そのとき人類は、人間はどんな選択をとれるのか──
というのが、物語のざっくりとした背景だ。
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話の序盤、月で生まれた主人公・相模登矢(演・藤原夏海さん)は、「地球でなんて暮らしたくない。地球人なんて死ねばいいんだ」といった自分本位な発言を繰り返す。
周囲を信じることなく、自分にまつわる不条理の正体を掴むべく、違法で自身が所有するAIの知能レベルを高めようとしていた。
登矢が密かに崇拝するAI「セブン(セカンドセブン)」は、最大の知性とされていた。セブンが描いた未来は、奇しくも登矢が願う結末と合致する。地球上の人間を39.7%消滅させるため、地球に彗星を落とす。物理点に人間の数を減らすことで、人類の永続を目指すというのだ。
だが、実際にそうした状況になったとき、登矢は葛藤する。自分や友達が命の危機に晒され「命を落とす」ことを体感したからだ。
同じようなことが地球の1/3における人間に起こっても良いのか、登矢はセブンが描かなかった未来はあり得ないのか、必死に模索する。
多くのアニメ作品と同様、欠陥を抱えた主人公が成長するという軸はありきたりだ。面白いと評価されるのは、本作のSF感が絶妙に、僕らが生きる現実にも起こりそうだと感じる点だろう。(既に専門家が警鐘を鳴らしているものも多い)
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物語の中盤、AIはこんな主張(問い)を投げ掛ける。
人間と人類は違うもの。
そうかもしれない前提を置いたときに、やや論理が飛躍するが、世界中で起きている紛争も似たようなカラクリというか、凶悪的な区別が行なわれているのではないかと直感した。
たとえば日本政府がしばしば口にしている国民とは、「日本人」という概念、すなわち人類的な見方をしているように感じる。
日本人を構成する、日本に住んでいる「人間」のことは、それこそフレームの外というような感じではないだろうか。
かつての太平洋戦争で多くの人間が命を落としたけれど、その結果を巻き起こした政府や軍は頑なに「日本」という国のメンツにこだわり続けていた。
そういったメンツへのこだわりが、近未来にも踏襲されていたら、どうだろう。
セブンというAIを生み出したものが、人類的な見方のみで設計を施していたら。セブンが「彗星が落ち、強烈な痛みとともに命を落とす」という人間の痛みや苦しみを想像することは困難であろう。
那沙・ヒューストン(演・伊瀬茉莉也さん)は、彗星が地球に落ちて1/3の人間は死ぬけれど、そのおかげで2/3の人間が救われ、結果的に人類は地球で生き永らえると説いた。
彼女の正義は何とか鼻で笑えるけれど、世の中にはびこる人類的な正義を拒絶できる人は極めて少ない。
問われているのは、データでもファクトではなく、人間の痛みや苦しみを想像できるかということだ。コロナ禍というテストで、僕らは将来の成否を試されているのかもしれない。
──
(Netflixで観ることができます)
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