本当に彼らが「悪」なのだろうか。(映画「夜明けまでバス停で」を観て)
2020年冬に、東京・幡ヶ谷のバス停でホームレスの女性が殺害された事件がモチーフになって作られた作品。
「夜明けまでバス停で」
(監督:高橋伴明、2022年)
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住み込みのアルバイトで働いていた女性が、コロナ禍によって仕事と家を失い、ホームレスとして困窮する様が描かれている。
こういった問題を考えるとき、「誰が悪いのだろう?」と犯人探しをしてしまう。当然、加害者に非があるのは間違いないけれど、果たしてそれだけなのか。
本作では「ホームレスなんて要らないと堂々と話すインフルエンサーや、緊急事態宣言を発令した安倍元首相、所信表明演説で「自助・共助・公助」を訴えた菅前首相、ファミリー企業をいいことにスタッフにパワハラやセクハラを続けるマネージャー……など、様々な「悪」らしきものを登場させる。
だが、本当に彼らが「悪」なのだろうか。
白状すると、「『壁と卵』なら卵の側につきたい」と考えている僕は、これまで一度もホームレス支援などに携わったことはない。インターネット全盛期だ、そういった活動に参加しようと思えば、クリックひとつで参加できるはずだ。多忙などは、言い訳でしかない。僕のような、ある意味で偽善的な態度こそ、世の中のマジョリティであり、実は諸悪を生み出した源なのではないだろうか。
そのように己に反省を試みると、「私、真面目に生きてきた」と語る主人公の三知子の言葉に、他人事のように自己責任を押し付ける社会への糾弾へ移ることはできない。
三知子は家族にも、友達にも、かつての同僚にも窮状を訴えることができなかった。僕も40年近く生きていれば、窮状を訴える友人や知人の一人や二人には巡り合うけれど、でもたぶん、何かしらで苦しみを覚えている人たちはいるはずで。
「いま、けっこう困ってるんだよね」
それが言えない。言えないとしたら、僕が「言わせないようにしている」側の人間かもしれないとも思うのだ。
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とはいえ、足元のレベルで救済に向けた試みが「公助」のレベルで進んでほしい。
安全保障を名目に、防衛費は簡単に倍額を決める一方で、社会保障はどんどん覚束なくなっている。(個人的にはここ10年くらい、ずっと政府の指針には首を傾げることばかりだ)
できることを、自分の現場で推し進めていく。
と同時に、「もっとできることはないか」を考えながら、僕たちの未来に向けて希望となるようなメッセージを見出していきたいとも思っている。
漠然と、非常に抽象的ではあるけれど、本作を観て感じたことをつらつらと並べてみた次第だ。
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osanaiでも「夜明けまでバス停で」に関するテキストを掲載しています。
エッセイスト/ライターの碧月はるさんのテキストもぜひ読んでいただければと思います。
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