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ヘラヘラ生きて、何が悪い?(映画「くれなずめ」を観て)

「くれなずめ」
(監督:松居大悟、2021年)

先日鑑賞した、「劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro」。監督を手掛けた松居大悟さんが、同時期に手掛けたフィクション「くれなずめ」。

本作でもスピッツやウルフルズなどが引用されているが、1985年生まれの松居監督が幼少期に影響を受けた(であろう)音楽と、そこから派生する価値観のようなものが反映されているような物語だった。

──

タイトルの「くれなずめ」は、「暮れなずむ」を命令形にした造語だ。

日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態を表す
「暮れなずむ」を変化させ、命令形にした造語。
形容できない時間、なんとも言えない愛おしい瞬間に名前をつけました。

公式ウェブサイトより)

映画序盤のヘラヘラした若者たち。彼らがどうやら結婚式の余興のために久しぶりに集まったと見受けられるが、だらだら内輪ネタで盛り上がっているだけで、観ている側にとってはちっとも面白くない。

だが不意に、成田凌さん演じる吉尾が口にする。

俺ってもう、死んでるじゃん?

その言葉に、それ以外の5人は慌てて打ち消すも、唐突のカミングアウト(観ている僕らにとって)に驚きを隠せない。え、え、吉尾はもう死んでるの?死んでる上で、5人とだらだら笑い合ってるの?

映っている人物のひとりが、実は死んでいた。
その事実が加わるだけで、映画の見え方がグッと変わるから不思議だ。

結婚式の余興はグダグダに終わる。誰もが気まずく、どうしようもなさを感じる中で、いくつかの回想シーンがインサートされる。吉尾も含めた6人は、実は高校時代、「イケてない」グループだった。城田優さん演じる「イケてる」学生に小突かれ、肩身の狭い思いをしていたのだった。

学生時代、青春を堪能できなかった6人。
内輪では明るく振る舞っていたけれど、「外」に認められない存在だった。

日本を代表する役者陣が揃った映画。しかし役柄はどうしようもなくイケていない。その「裏切り」の構成に、まんまと騙されてしまっていた。

高校を卒業し、大学・社会人として歩んでいくも、順風満帆な人生とは言い難かった6人。青年のまま振る舞うのか、大人として割り切って生きるのか。そんな「瀬戸際」にいることを、彼らは自覚していた。

だが、そんな「瀬戸際」という見え方は、実は虚構なんじゃないかと高良健吾さん演じる欽一が否定する。

ハッキリさせようとすんなよ。引きずることから逃げんじゃねえよ。いつもみたいにヘラヘラしようよ。

普通、逆だ。

人生を上手く、充実したものにするためには、未来の展望をクリアにしなければならない。過去や今をズルズルと引きずるような生き方はNGだ。ヘラヘラせず、シャキッとしないと社会人としては失格だ……。

本当にそうなのだろうか。

生きるのは確かに大変だ。でも、大事なものを諦め、捨てて生きてしまうよりも、「今はちょっと保留にしておこうか」といった態度で生きた方が、希望を感じられる人生になっていくのではないだろうか。

もちろん結果、何も成し遂げられず後悔することもあるだろう。それでも、ヘラヘラ生きることは尊いと胸を張ったって良い。そっちの方が楽しい。「くれなずめ」には、少なくとも同じ価値観を共にした仲間がいる。十分、幸せなことだ。

生産性向上のような人生は、まっぴらごめんだ。

松居監督の意地のようなもの。ほんの少し、覗けるような作品だったように思う。

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良い意味で、何十年も受け継がれるような名作ではないかもしれない。

でも、映画の良いところは、「そのときにしか切り取れない」情景をキャプチャーできること。

出演者の成田凌さん、若葉竜也さん、浜野謙太さん、藤原季節さん、目次立樹さん、高良健吾さん。彼らが集まって、こういった作品を撮影できるのはここ数年くらいのことだろう。

松居監督と年齢が近いキャストが揃い、さながら「遅めの青春ドラマ」を撮影したという事実。そんな企画背景を想像するだけで、胸がギュッと熱くなる。

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ほりそう / 堀 聡太
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