傷つけ合って生きていく(映画「こんな夜更けにバナナかよ」を観て)
他人のことを「傷つけたい」と思って、生きている人はいない。
できるだけ傷つけたくない。もちろん自分も傷つきたくはない。だけどご存知の通り、僕たちはそれなりに傷ついている。多かれ少なかれ。無傷で、100%ハッピーという人間など存在しない。
つまり「僕たちは傷つけ合って生きている」という説は、あながち間違っていないのではないだろうか。
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映画「こんな夜更けにバナナかよ」は、幼少期から難病・筋ジストロフィーを患い、車いす生活を強いられている鹿野靖明(演・大泉洋さん)とそのボランティアの関わりを描いた物語だ。
冒頭から鹿野は、ボランティアに対して「これ食べさせて」「水ちょうだい」「背中かいて」など矢継ぎ早に、要望を伝えていく。5人ほどのボランティアは忙しなく鹿野の要求に応えていく。恋人の妙な依頼でしぶしぶボランティアに訪れた美咲(演・高畑充希さん)は、鹿野は何様なんだ?と嫌悪感を抱く。
ざっくりまとめると、鹿野の言い分はこうだ。
・俺は不運にも難病を患い、自由を失った身体である
・そうでない人たちは日々の行動に何の制約もないが、俺はボランティアがいないと何もすることができない
・そうではあるが、それって公平なことではないのではないか。普通であれば病院に閉じ込められてしまうが、それだと何もできなくなってしまう
・俺は英検2級も合格したいし、アメリカにも行ってみたい。少なくとも病院でなく、自立した生活を送る権利はあるはずだ。
・だからボランティアには協力してもらう。むしろ、自分を支えるという「経験」を与えているのだから、俺自身が「申し訳ない」と感じる必要はない
・こういった自分のスタイルが、同じような症状で苦しんでいる人たちの励みにもなるはずだ。だから俺は自由に生きていく!
実に逞しいし、そして、もっともだと僕は思った。
たまたま僕は、鹿野のような病気を患っていない。行こうと思えば、今だってコンビニに行って買い物をすることができる。お金さえあれば、何でも買い物ができる。歩こうと思えば歩けるし、走ろうと思えば走れる。走りたくないな……と思ったら、引き返してビールでも買って家でウダウダしていれば良い。
だが鹿野は、これができない。
外出はボランティア数名の助けが必要だ。不測の事態が起こる可能性もあるため、ボランティアが不在になることも許されない。プライベートなんてない。何をするにも、誰かに「存在」のもと行なわなくちゃいけない。
これを運・不運だと片付けて良いものか。
しかし可能性としては、僕だって、いつ鹿野のように身体が不自由になることだってある。道を歩いて事故に遭えば寝たきりになってしまう。病気にだってかかるかもしれない。僕たちはいつだって「あちら側」に行く可能性はあるのだ。
だが不公平なことに、「あちら側」の人が、「こちら側」に来ることは殆ど叶わない。
であれば、彼らがきちんと自立した生活を送れるようになるというのは、当然の権利であると言えると思うのだ。
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僕たちは「僕たちは傷つけ合って生きていく」。
鹿野は病気になったことで色々失い傷ついている。そうは見せまいとボランティアに対して遠慮なく欲求をぶつける。
そのことで、ボランティアは傷つくこともある。ボランティアの田中(演・三浦春馬さん)は、何度も恋人とのデートをキャンセルせざるを得なくなる。鹿野の言い分は「デートなんて、いつだってできるだろう。君がデートに行ったら俺は死ぬよ?」だ。なかなか強烈だ。
そして、お互いが不満を抱えていく中で、時に本音でぶつかる。それにより傷も生じてしまう。だけど、そうやって関係性が深まっていくのだ。
「なんで美咲ちゃんが恋人だって言わなかったんだ?」と鹿野は聞く。別に隠すようなことじゃない。鹿野も美咲を好きだったから、多少は傷つくだろう。だけど鹿野は田中にも信頼を寄せている。信頼を寄せている田中が、美咲と良い関係を築ければ、それは素晴らしいことじゃないかと。
傷つけ合って生きていくからこそ、代え難い関係になっていくのだ。
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大泉洋さんの演技、とても良かったな。脇を固める役者の皆さん、特に萩原聖人さんと宇野祥平さんの演技からは、じーんと鹿野を信頼する感じが伝わってきて。
ボランティア=無償奉仕ということもあり、世間では偽善的な行為として様々な意見が交わされてきた分野だと思う。ただ「無償」ということで不利益(のようなもの)を被ったとして、それが一概に問題であるとは言えないんじゃないかというのが、映画全体から醸し出された温かな関係性だ。
映画では、ボランティアの人柄や属性などは細かく描かれていたわけではない。彼らに家族がいるのか、どんな思いでボランティアに参加しているのかは分からない。そこは想像する他ない。
ただ間違いなく言えるのは、鹿野と鹿野に関わる人たちの間には、それぞれの人生が交差していて、そこに「愛」や「憎」がちゃんと込められていたということ。表面的な利他、利己という物差しでは測れない関係性があるからこそ、観る者の心を打つと思うのだ。
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