不倫という「個の表現」(映画「ほつれる」を観て)
不倫をテーマにしたドラマや映画は多い。
20代の演出家、映画監督の加藤拓也さんは、不倫を愛情でなく、「個の表現」と解釈した作品を生み出した。
「ほつれる」
(監督:加藤拓也、2023年)
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個人的な考え方だが、それほど不倫というものに対してネガティブなイメージは持っていない。
いや、そりゃパートナーが誰かと不倫関係になっていたとしたら、おそらく自分でも制御できなくなるほどに怒り狂うだろう。
ただ、不倫はあくまで当事者(少し広げても「家族」程度まで)の問題である。暴力性やある種のグルーミングが伴わなければ、当事者同士で納得できる間柄であるのであれば目くじらを立てることもないだろうと思う。(繰り返すが、僕が当事者として「された」場合、目くじらも鼻くじらも口くじらも立てて怒り狂うだろうが)
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「ほつれる」では、不倫に対する緩やかな容認性が漂っている。
田村健太郎さん演じる文則は不倫を疑い、その事実に静かな怒りも示しているのだが、どこか他人事のようにも思う。自制した心で(そして若干のハラスメント感も醸しながら)、門脇麦さん演じる綿子に迫る。
綿子に対する文則の姿勢を「暴力」と捉える人もいるだろう。僕もそれは否定しない。ただ、暴力かどうかという二元論で割り切れるような関係でもなさそうである。暴力といえば暴力だけど、暴力じゃないといえば暴力じゃない。
その辺のびみょ〜〜〜〜〜〜〜な感じが、モヤモヤさせるのだろう。
そもそも綿子が利己的である。
「仕事をしていない」らしい綿子は、おそらく木村(演:染谷将太)とのグランピング旅行の費用も木村に出してもらっているはずだ。山梨への遠出も、黒木華演じる友人に車を出させている。そもそも木村が綿子のそばで交通事故に遭ったときも、自らの保身のために救急車の要請を諦めている。
利己的の象徴みたいな人ではないか。
文則に問い詰められ、綿子は「木村くんが好き」と言った。
でもそれって、本当だろうか?と僕は(おそらく文則も)疑っている。
「『(死んでしまった)木村くんが好き』という自分が好き」なのではないか。その身勝手な発言に文則も我に返り、綿子を諦める判断をしたんじゃないだろうか。
不倫とは、愛が究極まで高まって行なわれる不貞行為。そんなイメージを持っていたけれど、綿子の不倫とは、「自分を”いい感じ”に表現する」ための手段だったのではないか。
でも、それは自分が解かれてしまった結末に過ぎない。
「解かれた」のは、解放を意味するのかどうか。それは鑑賞する人間によって解釈が分かれるだろう。監督・加藤拓也は、そうやって映画をつくっているのだ。
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最後の最後に。
評判も上々なので、あえて本作をクサして締める。
衝撃作「わたし達はおとな」を手掛けた加藤拓也さんの最新作「ほつれる」。前作を絶賛していた立場だったので期待も大きかったが、個人的には肩透かしを喰らった。
前作よりも遥かに洗練されたショットになっているのは素人目にも分かる。
だが、映画ならではのカタルシスはない。古舘寛治さんを「あんな感じ」で描くなら、黒木華さんはもっと意味ありげに描けたはずだ。というよりも、最初から最後まで、主人公の綿子は「ひとり」で完結してしまった。
そういう在り方(=個の表現)を加藤監督は描きたかったのだと思うけれど、それゆえ鑑賞者を裏切るような演出もできなかったし、「わたし達はおとな」で見せたような生への執着を描くこともなかった。
こっちの方がリアリティがあるといえばそうなのかもしれない。今っぽいといえば、今っぽいが、僕にとっては不完全燃焼だった。
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ただ、鑑賞する人にとって色々な解釈ができる作品だと思います。
osanaiでも伊藤チタさんにテキストを寄稿いただいています。こちらもぜひ読んでみてください。
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