見出し画像

「推しの子」は、どこまで推す人生を続けていくのだろうか。

Netflixで、テレビアニメ「推しの子」を観た。

何かの拍子で眺めていたら、のめり込んでしまい。気付けば、現在配信されている7話を一気に観てしまった。「日本のコンテンツ産業の鍵はアニメ」なんて、手垢がつくほど言われているけれど、そのクオリティの高さはアニメ素人でも瞬時に理解できる。唸らざるを得ない。

印象的だったのは、物語の「説明」部分だ。

昔はけっこう、「説明は極力避けるか、話の流れの中で自然に」なんて言われていたけれど、「推しの子」ではひたすら説明を続ける長台詞がたびたび用意されている。主人公のルビー(双子の妹)が饒舌・早口・オタク気質のキャラクターで、様々なことをぶわーっと喋り尽くす。主人公のアクア(双子の兄)もそれを受けつつ、冷静な口調で芸能界のシステムについて補完していく。

アイドルが置かれている厳しい現実、、恋愛リアリティ番組の構造、ドラマにおけるキャスティングの妙など。僕は芸能界に疎いので「はあ〜、そう言われてみれば気になっていたかも」というポイントをズバズバと説明してくれるので、なんというか、それはそれで普通に勉強になった。

物語は、いくつかのレイヤー / 時間軸で展開されている。

アイの物語
アイの息子であるアクアの物語(幼少期、高校生期)
アイの娘であるルビーの物語(幼少期、高校生期)

ユニークなことに、アクアとルビーはそれぞれ前世の記憶を有している。それぞれがアイドルだったアイを「推し」ていた過去があり、「まさか生まれ変わって、アイの息子 / 娘になるなんて……!」という驚きから、第1話ではまさかの衝撃的な展開へと帰結していく。

*

僕が追いかけてしまうのは、アイの息子であるアクアがどのような結末を迎えるのか、ということ。

推しであり、自分の母親であるアイを「嵌めた」人物への復讐を、自分ひとりで追いかけ続けている。そのために表面上は「夢なんてない」と言い張るが、実は「俳優として挑戦してみたい」という思いも持っている。自分の夢を諦めてまで、推しであるアイへの忠誠をひたすら誓う。

確かにアニメでは、そういう感じには映っていない。が、推しゆえに猟奇的な犯罪者へと加速していく様子は、Amazon Prime Videoのオリジナル作品「キラー・ビー」にも通ずるものがある。(「キラー・ビー」では、主人公のドレが、推しをけなしている人々をひたすら殺していく狂気の様が延々と描かれている)

「推し活」「推しは尊いもの」と信じて疑わない傾向にある現状だが、いよいよ「推しの子」では、そういったものへの疑問・疑念(「推す」ことの副作用というか)が表出する構造になっている。

当然アニメ作品ということで、主要登場人物への「推し」もSNSには存在するだろう。しかし、そういった流れと逆行するように、推すことの危険性をにおわすような演出は、なかなか興味深いというか、野心的なものづくりだなと感じる。(いや、今だからこそ、こういった作風がポピュラーになり得るのだろう)

原作はそれなりの巻数で続いているようだが、おそらく6月末でひと区切りになると予想されている。残り4話程度だろうか、顛末から目が離せない。

──

第5話からは、アクアが恋愛リアリティ番組に出演するという展開になっている。原作者や製作陣の意図は定かでないが、かつて放送されていた「テラスハウス」、そして木村花さんの自死を想像してしまう内容になっているのは確かだ。

「創作」というフィールドにおいて、どのように物語を作るかどうかは、作り手の意欲や倫理観に委ねられる。視聴者に容易く事件を想起させるような物語になっていたならば、それが非難の対象にされるかどうかというのは、ある程度織り込んでいなければならないだろう。

だから、現在SNSで散見される非難は、その是非はともかく、作り手がただひたすら受容しなければならない類のものだ。「〜〜という意図はないんです」という説明だけでは不十分というか、そもそもそういう問題でなく、非難は必ずされるという前提のもと、その「覚悟」があったかどうかが試されるものだと個人的には思っている。

#映画
#映画レビュー
#映画感想文
#アニメ
#テレビアニメ
#推しの子
#赤坂アカ (原作)
#横槍メンゴ (原作)
#平牧大輔 (監督)
#高橋李依
#大塚剛央
#伊駒ゆりえ
#潘めぐみ
#石見舞菜香
#Netflix

いいなと思ったら応援しよう!

ほりそう / 堀 聡太
記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。

この記事が参加している募集