編集補記(江戸川区の学習塾の取材について|ふつうごと)
10月に東京都江戸川区の学習塾C.schoolの経営者 風間亮さんの取材を行なった。遅筆ゆえに取材から1ヶ月を要したが、ようやく記事を公開することができた。
経営者というと敷居が高くなってしまうが、風間さんの迷いや試行錯誤がオブラートに包まれることなくテキストになっている。ぜひ読んでもらえると嬉しい。
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簡単に、編集補記を綴りたいと思う。
取材が楽(らく)だった
こんなことを言うと誤解を招くかもしれない。
インタビュアーが最も苦心するのは、相手にリラックスして本音を話してもらうことだ。それなしに、読み手にとって価値のある言葉を引き出すことはできない。
風間さんの言葉には嘘がない。「嘘がない」というより、本心を打ち明けられる明るさが風間さんの魅力なのだ。そうでなければ「やりたくないことを削ったら塾になった」「勝算はなかった」という言葉は出てこなかったはずだ。(実際僕も、やりたくないことが多く勝算なく起業した人間だ)
それぞれの言葉に無理のある意味づけはない。だから風間さんが発する言葉を受け取り、丁寧に解きながらテキストに起こすだけで、読み物としての記事が出来上がった。
そういった意味で、取材はとても楽(らく)だったのだ。
風間さんにもらった言葉から
記事を公開した後、風間さんから「等身大の自分を感じられる貴重な機会だった」という言葉をもらった。とても嬉しかった。
記事とは、読み手をエンターテインさせるコンテンツだ。その記事を作るために取材という手段があるに過ぎない。そしてそのコンテンツの支持が大きければ、運営側の編集価値が高いと言えるだろう。
コンテンツが公開されたことにより、取材された側が広報的価値を得られる場合がある。だけどそれは、あくまで副次的なものに過ぎない。現代においてPRの機能は多岐にわたってはいるものの、取材する側、される側の関係性を取り違えては本末転倒だと思っている。
だけど、そういった原則を飛び越えて「取材してもらって良かった」と言ってもらえるのはすごく励みになる。始めたばかりなので広報的価値は、ぶっちゃけ皆無だ。だからこそ記事の質にこだわらなくてはいけない。そういった中で、風間さんの思考や内省に貢献できたなら本望だ。
起業家の、ふつう
僕は、起業家や経営者というのは特別な人だと思っていた。
今もそうだと思う。経営に関する能力を保有していることはもちろん、事業リスクを受け入れながら世の中に価値創造しようとする胆力は凡人ではできない。
会社を創業し、どんどん失われていくキャッシュに震えながら、改めて実感できたことでもある。
それでも、どこか平凡で、共感を寄せられるところがあるのではないか。それは良い意味での「ふつう」であるはずだし、その「ふつう」が伝えられれば、経営者とそうでない人たちとの相互理解に繋がるのではないかと思った。
「ヒーローとして見立てて記事にしたくはないんです」という傲慢とも捉えられかねない依頼を、風間さんには快諾してもらった。改めて、感謝しかない。
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ぜひ、記事を読んでいただけると嬉しいです。
Webサイト「ふつうごと」は、これからも、世の中の「ふつう」を伝えていきます。ぜひ定期的にチェックいただけばと思います。