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いつか、氷は溶けるけれど。(映画「国境ナイトクルージング」を観て)

不思議な話だった。

考えてみれば冒頭から不思議で、最初はどの国で制作された映画なのかも分からなかった。あれ韓国?いや、中国語っぽい言語や名前だよな。やっぱり中国だよね。実際、舞台となっている延吉という場所は、北朝鮮の国境に位置する吉林省延辺朝鮮族自治州の首都。中国と朝鮮の文化が入り混じる街並みということらしい。

もちろん、私は行ったことがない。

そんな街に、友人(なのか?)の結婚式で訪ねたハオフォン。彼が延吉で生活するナナとシャオに出会う。それぞれが、それぞれの閉塞感を抱え、それゆえに特別な引力で惹かれ合うという物語だ。

「国境ナイトクルージング」
(監督:アンソニー・チェン、2023年)

──

クラブ、軽トラック、雪山、熊。そして三角関係。

あらゆる映画で使われ(尽くし)たモチーフが、なぜかわざとらしく感じない。「我爱你」のネオンサインも、何を象徴しているんだろうと好奇心が勝る。セックスはするけれど、愛しているわけではない。愛されているわけではないことをお互いが承知している。これもまた「あるある」なのに、一筋縄でいかない人生の象徴のように感じるのは、作品の舞台が「異国」だからだろうか。

いや、それだけではない。

動的なのだ。ただ刹那的な楽しさを享受しているわけではない。永遠を感じる瞬間も、あと数日でハオファンがいなくなる現実も、熊に襲われそうになる恐怖も。そう考えると、何度も映るナイトクラブの喧騒も、底抜けに酔っ払うアルコールもリアリティがある。

ああ、俺もそうだったかもしれない。
彼は少し不幸に見えるけれど、そんなことはない。俺もそうだったけど、あのときは確かに幸せだったよな。

なんて思いに駆られて、少し切なくなる。

終盤、これまでひとりで噛み締めていた氷を、3人で口移しする。酒を飲んで頬を赤らめながら、まだそこにある「氷」を愛おしく眺めているのだ。氷は、いつか溶ける。南極でもない限り、溶けない氷はない。でも3人は、氷を口移しで舐め合う時間を、まるで永遠かのように演じているのだ。

彼らの目的地は、山奥に佇む大きな池だ。吹雪のために帰らざるを得なかったが、全員やけにあっさりと諦めていた。「諦める」ことの必然を、若くして全員が知り尽くしていた。

そんな循環から抜け出した者、抜け出せていない者。「行方不明」になった者もいる。

私はどうだろう。抜け出したつもりだけど、当時の同僚からしたら「行方不明」なキャラに成り下がっているのかもしれない。

本作の英題は「The Breaking Ice」。心は氷のように脆いけれど、若者の一瞬はちゃんと美しい。願わくば辞書を携えたシャオが、今も健全な野心を持っていてくれたら嬉しい。

──

パンフレットを読むと、アンソニー・チェン監督は前作までほとんど音楽を使わなかったそうだ。全く使わない作品もあって、この作品が有する音楽の豊かさからしたら考えられない。

いずれにせよ、間違いなくアンソニー・チェン監督は音楽への素養がある。信頼もあるのだろう。音楽をどのように使えば良いか熟知しているような印象を持った。

それゆえ、「閉塞感」がテーマのひとつなのに、軽やかで開放感のある素敵な物語に仕上がっている。冒頭で「不思議な」と書いたけれど、おそらく緻密に、細部までデザインして作り上げた映画なのだろうと思うのだ。

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