個人の栄光か、組織の大義か(映画「フォードvsフェラーリ」を観て)
音楽評論家の田中宗一郎さんが薦めていた、映画「フォードvsフェラーリ」をDVDで観た。
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一匹狼として、尖った仕事をするカー・デザイナーのキャロル・シェルビー(演:マット・デイモンさん)と、レーサーのケン・マイルズ(演:クリスチャン・ベール)が主人公だ。
まずシェルビーがフォードに要請され、24時間レース「ル・マン」で勝つことを求められる。シェルビーが白羽の矢を立てたのがマイルズだ。立場的には業務委託のような感じで、勝てなければ切られる状況。フォードという大きな組織の中で、いかに結果を出すかが描かれていた。
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話の筋は省くが、シェルビーとマイルズが戦っていたのは大きく2つある。
・フェラーリ
・フォード
フェラーリはライバル社だ。描かれていた当時、ル・マンで6連覇を果たしており、フォードにとって大きな壁となっていた。大衆車として大量生産されていないものの、イタリアの優れたレース・カーとして広く認知されており、フォードもフェラーリに対して一目置く存在だった。
もう一つはフォードそのもの。大きな組織の中での派閥争い。能力はピカイチだが、シェルビーたちが勝つことで快く思っていない人たちがいる。社長に進言し「フォードのため」に、マイルズをドライバーから外すよう働きかける。こういった動きに対して、彼らは時にお互いを傷つけ合いながら、ル・マンでの栄光を目指していく。
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1966年であっても、肥大化した組織におけるイノベーションの弊害は見られたようだ。
能力でなく、組織の事情に忖度しながら、色々な施策や方針が決まってしまう。多くの組織人にとって「思い当たる」節があるのではないだろうか。
こういった作品であれば、個人=正義、組織=悪として描かれがちだが、この作品は単純に二分させず、登場人物たちが存分に「歯痒い」思いをしまくっている。そういった意味で、ものすごくリアルだ。
レースの真っ最中に、「忠誠を」と誓わせる人間の身勝手さ。だがそれも組織の大義には繋がっていて、それはそれで大事なことなんだけど、後味は間違いなく悪い。
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そういったことを抜きにして、レーサーが孤独であり孤高な存在であることは格好良い。
競うとは、勝者と敗者が生まれ、その差は残酷なまでに可視化されてしまう。そうでない価値観を信じられたら個人は「H.A.P.P.Y」になれたかもしれないんだけど、競争があるからこそ、組織や業界は活力を保てるのかもしれないわけで。難しいですね。
考えさせられる作品でした。また40歳になったら観返してみたい。
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