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30年前の警鐘(映画「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」を観て)

チャットAI「ChatGPT」が俄かに話題を集めている。

ライターとして仕事を受けることもあるので、この潮流には思うところも多々ある。それは別のnoteに記すとして、いま一度注目すべきフィクションが「ドラえもん」ではないか?と僕は思っている。

故・藤子・F・不二雄によって書かれた、大長編ドラえもんシリーズ第13作である「ドラえもん のび太とブリキの迷宮ラビリンス」だ。

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凄まじく進化を遂げたロボットによって、人間が駆逐されてしまった「チャモチャ星」。人間に使われる側だったロボットが、主従逆転し、星を丸ごと乗っ取ってしまったのだ。ロボットの支配から逃れた少年・サピオを、ドラえもん一行が助けるという話である。

働きたくない
歩きたくない(動きたくない)
考えたくない

そんな人間の要請、欲求を満たすべく、人間はロボットを開発していく。更に劇中の人間たちは、より賢いロボットを開発するために、ロボット自身に開発を任せるという手段をとった。その試みは奏功し、どんどんロボットは賢くなっていったのだが、気が付いたときには、人間はロボットに服従せざるを得ない状態になっていたという話だ。

めちゃくちゃ、怖い。

現実では、「働きたくない」という欲求はテクノロジーは満たしていない。なんやかやブルシット・ジョブは生まれ続け、人間は時間に追われてあくせく働いている。(これからはどうか分からない)

しかし、歩きたくない(動きたくない)、考えたくないへの要請には、テクノロジーが応えつつあるのが現状ではないだろうか。

MaaSという言葉に象徴されるように、移動手段の最適化を巡る取り組みが、そこかしこで行なわれている。車輪を自分の足で漕がなくとも、最低限の力だけでスイスイ進める電動自転車は、多くの利用者によって支持されているのが現場だ。

考えたくない。これは冒頭に挙げた「ChatGPT」現象が物語っている。人間は、どんどん答えを最短距離で求めたくなっているようだ。「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉も、その流れを象徴するワードだろう。文学や映画など、時間をかけてじっくり触れるようなメディアに対しても、時間効率を最優先しようとするのは、やはり何かが歪んでいると思わざるを得ない。

「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」は、それらを全て反映している作品ではないけれど、それに近しいような要請・欲求の場面はよく出てくる。

ロボットたちは、実によく働く。風邪で休むこともない。

ねじが切れることはあるけれど、基本的には永続的に駆動し続けているのだ。人間が頼りたくなる気持ちも分かる。

*

漠然と怖い、あるいは不安だからといって、テクノロジーを規制する方向に走るのはあまりに安直だ。便利を求める人間の欲求は、おそらく止めることはできない。だから、それを前提に、未来のデザインを考えた方が良いはずで。

いずれにせよ、30年前に藤子・F・不二雄が鳴らした警鐘を、いま一度見直す時期にきているのではないだろうか。

そんなことを、改めて感じながら、「ChatGPT」がもたらす影響のことを考えている。

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タイトルにも書いた通り、「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」は、映画上映が1993年。つまり30年前のことだ。

30年前に、ロボットが進化し過ぎたことによって、人間の文明がめちゃくちゃになることを予言したのはさすが。いや、まあこういった悲観論は当時もたくさんあったと思うけれど、「フィクション」という形で、かなり具体的に描いたのは、やはり藤子・F・不二雄の凄さだなと感じる。

Amazon Prime Videoで配信されているので、興味ある方はぜひ観てください。

(Amazon Prime Videoで観ました)

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ほりそう / 堀 聡太
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