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ウルトラマンは、格好悪い。

公開されたばかりなので、話の内容には触れずに。

といっても、何かを語れば語るほど、抽象的な言葉の欠片は作品のどこかへと繋がっていく。それは「シン・ゴジラ」も「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」のときも同様だった。

だからnoteとかSNSに何かを綴る際には、どうしても言葉選びに慎重になる。もっと傲慢に、堂々と作品のことを語れれば良かったのだけれど。映画のパンフレットにわざわざ明記されている通り、皆が「ネタバレ注意」を気にしてしまうのだ。

結局、そのとき何を感じたのか言えないままで終わってしまう。忘れてしまう。紙のノートや個人の日記に書いておけば良いのだけれど、それらに丁寧に書き留めるほど筆まめではない。

ということで、noteにテキストを書く。

たぶん中途半端なメモになりそうだけれど。

*

映画「シン・ゴジラ」のパンフレットには「現実 対 虚構」と記されていた。

「シン」を冠としている「シン・ウルトラマン」も、映画作りの意義や概念も引き継いでいる、しかし、虚構フィクションをもとに物語が展開されているのが大きな特徴といえる。

現実感がない、といったら元も子もないのだが……。

「シン・ゴジラ」のような現実リアリティ、例えば日本人が見せるゴタゴタ感はごっそりと排斥されている。敢えて、そういった演出なのだろうが、虚構フィクションがベースにあるのであれば、そこに文句をつけるのはナンセンスになる。

劇中の構成要素は、ウルトラマン、禍威獣かいじゅう、人間。映画を観る者は、それらのはざまにいるような存在だ。

もちろん僕らは、劇中の人間と同じ「人間」ではあるのだけど、彼らの思考を律儀にトレースすることは難しい。

映画「ドント・ルック・バック」のときにも感じたけれど、いまという時代を生きる多くの人たち(とりわけ日本人)にとって、人類の危機は想像しづらい。だから作品で描かれる絶望、そして希望について100%共感するというのは無理なのだ。

できることは、エンターテイメントという装置に浸かること。絶望の希望の間でぐいんぐいんと揺れながら、新しいウルトラマンのことを見つめることしかできない。

「ウルトラマンとは何か」

製作陣は、そのことを一生懸命考えたと思うけど、そんな問いは果たして有効なのか。原作者も意図しなかった「ウルトラマン」という概念について、いたずらに意図を付加することはどれくらい意味や意義があるのだろう。

そんなことをずっと考えながら映画を観ていた。答えはまだ出ていない。

しかし賛否両論あるけれど、大人のためのエンターテイメントという見方であれば、自信を持って「賛」だと言える。

とりあえず、ひとつだけ。

エンディングの米津玄師さんはミスマッチだったと思う。

曲が悪いというより、格好良すぎるのだ。

ウルトラマンって、ちょっと滑稽なくらいがちょうど良いんじゃないかなと思うのだ。本物の勇気や希望を象徴する人って、ちょっと格好悪く見えるわけだから。

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(映画館で観ました)

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「シン・ウルトラマン」の追記noteも、良ければ読んでください!

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