阪神・淡路大震災から30年
私にとって地震とは、幼少期から身近に感じるものだった。
震災の渦中にいた方に比べると、地理的に私ははるか離れていた。だが、1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震は、父方の実家が北海道だったこともあり、祖父母の安否を含め、とても気になる話題だった(幸いなことに祖父母の家は震源地から離れていたため、それほど大きな被害はなかった)。
だが、報道で目にするニュースは、私の心に深く爪痕を残した。それは、津波によって、父親が車ごと流されたという話。少し前まで会話をしていた肉親が、あっという間に“不在”になるという現実を、当事者はどのように受け止められるのか。当事者でない私でさえ、30年以上にわたり記憶しているわけで、いかに深く心に傷を負ったのか想像することさえ難しい。
「地震は怖い」というイメージをさらに強めたのは、ちょうど30年前に発生した阪神・淡路大震災だ。朝、テレビをつけたら街がめちゃくちゃになっている。どうやら大きな地震が起きたらしい。
倒壊した阪神高速で奇跡的に落下を免れたバス。命が救われて良かったと思う一方で、「もし落ちていたら」という思いがよぎった。日がな死者数が更新されていく様子は、本当につらいものだった。
ただ、そういった記憶も、細部は徐々に薄れていく。「地震は怖い」というイメージは減じることはないけれど、「地震はいつか来るけれど、まあ今日じゃないよね」という“油断”が常態化する。2024年の年始は能登で大きな地震があったのに、地震を“自分ごと”として捉えるのを怠っていた。
年末、そして年始にかけて、エッセイスト/ライターの碧月はるさんに阪神・淡路大震災にまつわる映画について文章を寄稿してもらった。
いずれも安達もじりさんが演出・監督を手掛けている。
震災は、目に見える被害だけでなく、目に見えない(分かりづらい)被害も招く。人の心に残る傷だ。
「心の傷を癒すということ」では、実在した精神科医・安克昌さんをモデルに、被災者の心のケアに奔走した精神科医の物語が描かれている。「港に灯がともる」では、物心つく前に震災を経験した金子灯と家族が現在に至るまで抱く苦しみについて、そしてそれを癒そうとする姿について描かれている。
東日本大震災のあたりだろうか。
3.11といった、日付を数字で表現するような風潮が見られるようになった。それはたぶん、アメリカの9.11から派生する流れではなかったか。
私も無意識でそれらの数値を口にする。口にすること自体は悪いことではなかろう。ただ、「地震」という大きな被害をもたらした出来事が、どこか遠くに据え置かれているような感覚を抱くのも正直なところだ。
1月17日、阪神・淡路大震災から30年という節目だからといって、そのときばかり追悼の意を示すのはどうかという意見もあるだろう。
だが、しばらく遠くに据え置かれていた出来事だからこそ、わずかな時間でも当時に思いを馳せることは重要ではないか。
「港に灯がともる」は本日、映画館で公開される。震災に関してつらい思いを抱くようであれば、映画を鑑賞する必要はないだろう。でも、もし映画を観ても精神的に大丈夫だろうという方は、映画館に足を運んでもらえたら。
そんなことを考える2025年1月17日の朝。私が暮らす地域では、雲ひとつない快晴である。