雲か、核か。

「シリーズ45周年記念!映画ドラえもんまつり」と称して、これまでに公開された映画シリーズ全43作品から選りすぐりの6作品が劇場公開されるそうだ。

第一弾として1/23(木)まで公開されているのが、1992年公開「ドラえもん のび太と雲の王国」だ。

長男と次男を誘って映画館に足を運ぼうとしたが、時間がとれなかったためAmazon Prime Videoで鑑賞。物語の筋を忘れていたので、私も新鮮に鑑賞できたのだが、「監督:芝山努、脚本:藤子・F・不二雄」という名コンビならではの社会性の高い作品で驚いた。

ドラえもん映画で「戦争」をモチーフ(またはメタファー)にした作品は多いが、この作品の特筆すべき点は、核兵器“保有”の危うさを見事に描いている点だ。

地球(地上にいる人間)の環境破壊によって、雲(天上人)の汚染が問題視されている中、天上人は「ノア計画」の断行を決めつつあった。空から大量の雨を降らせ、地上のあらゆるものを流してしまうという恐ろしい計画だ。

ノア計画に対抗すべく、ドラえもんは「使うつもりはない」として、雲を溶かしてしまう装置をチラつかせる。その装置を悪用されてしまい、あわや一触即発の事態に。どうしようもない局面でドラえもんが身を挺して争いを止めるという筋書きだ。

1992年といえばPKO協力法が成立した年。1991年に勃発した湾岸戦争で、アメリカを中心とする多国籍軍が組織されるも、日本は憲法を盾に資金提供のみを実施し批判されていた。紛争当事者の同意のもと、国際貢献の人的支援として自衛隊を派遣できるようになったのが本法律である。

当時私は8歳だったので記憶にないが、おそらく当時も反対意見がそれなりに起こったであろう。時代は変わり、人的支援「だけ」だった国際貢献も、徐々に武力行使を容認すべきという声が広がっている。

そのことを、当時の製作者たちは予見していたのではないだろうか。

自分たちを守るための”武器”。聞こえはいいが、武器は相手を殺傷する機能を有している。「雲の王国」では、その武器が悪用されて取り返しのつかない事態に発展しかねないと警鐘を鳴らしている。(ちなみに悪用を企てたものたちも、「おれたちは地球を守るヒーローだぜ」と理屈をこねていた)

物語序盤の「自分たちだけの王国をつくろう」という無邪気さが、中盤からグラグラと反転していく。天上人は天上人で、プロパガンダとしか思えない映像を国民に示したりして、「ああ、いつだって争いの前は、偏った情報が流布されるものだな」と愕然とする。

こんな作品が30年以上も前にアニメーションとして存在したことが、そしてそれが私の故郷であることが誇らしい。彼らのバトンを次の世代につなぐことが使命であると、手垢がついた言葉ではあると自覚しつつも、思わざるを得なかった。

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堀聡太
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