叫ばせたり、転ばせたり、殴打させたり。その意味は何だろうか?(映画「箱入り息子の恋」を観て)
「逃げるは恥だが役に立つ」で星野源さんが演じた津崎平匡。その原型が、映画「箱入り息子の恋」にある。
俳優は仕事を選べるとは限らない。だから、同じような役を演じることは俳優にとって避けられない。むしろ「箱入り息子の恋」の天雫健太郎から、津崎平匡として見出されたこと(つまり国民的なキャラクターに押し上げられたこと)を、僥倖と呼ぶべきだと僕は感じている。
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星野源さんが演じたのは、天雫健太郎。
「耳をすませば」の月島雫と天沢聖司を足して2で割って、ちょっとだけお釣りが来るような名前だ。タイトルが「箱入り息子の恋」とあるので、主人公はあくまで健太郎であり、夏帆さん演じる奈穂子は、健太郎の成長にどう作用するかというスパイス的な存在として描かれた作品だ。
視点が固定されることのメリットは、分かりやすさだ。本作でいえば、健太郎に感情移入すれば良い。ヒロインの奈穂子が、喜んだり泣いたりといった一挙手一投足に翻弄される必要はない。その方針はブレずに、奈穂子が泣くシーンであっても、すぐに視点は健太郎に戻っていく。
一方でデメリットは、単調になるということだ。市役所に勤務し、13年間無遅刻無欠勤という青年。ランチタイムには自宅に帰って食事を摂り、定時になれば真っ先に直帰する。自宅ではゲーム三昧で、外出することもない。そんな「イケてない」彼の成長過程が描かれるのだが、なんというか、強烈なフィクションみを感じてしまうほどありきたりで、直線的な変わりようなのだ。
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本作は、基本的に6人の登場人物によって展開される。
健太郎、健太郎の父、健太郎の母
奈穂子、奈穂子の父、奈穂子の母
である。「単調」と書いたが、本作が単調の枠を破れないのは、家族というクローズドな関係性を抜けることができなかったからだ。
穂のかさんが演じるふなこしや、栁俊太郎さん演じる大場をもっと活かせなかったか。「あのとき」に、主人公が揺れたり、視点が切り替わったりするだけで、物語は大きく広がりを見せたはずだ。
その分、健太郎の喜怒哀楽にじっくりと付き合えたという見方もできるかもしれない。ただ結局、健太郎は何に突き抜けたのだろうか。
何も突き抜けなくとも、良かったのではないかとすら思うようなエンディングに興醒めしてしまう。まさか「きれいに収めるため」の筋書きだったとは思いたくないが、大筋と細部がいずれも雑で、作品性をだいぶ損ねているように感じた。
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「細部が雑」と書いたのは、挙げるとキリがないが、ひとつだけ。
健太郎は「13年間無遅刻無欠勤」という設定なのだが、「休んでいない」ことは美徳にはならない。特に公的機関であれば「休ませていない」とみられ、労働環境として劣悪なものと見做されてしまうだろう。(働き方改革という言葉がなかった2013年時点であっても)
恋とは、大胆かつ繊細なものだ。
確かに健太郎の胆力を感じる瞬間はあり、大胆な部分は表現されていたといえる。しかし繊細という点に関してはイマイチだった。感情の機微をスタッフ(脚本や演出)が具現化できていない。
無駄に叫んだり、転ばせたり、殴打させたり。
ただただ、雑な作品である。
(Netflixで観ました)
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