Howの改善でなく、Whyのリフレーミング
CULTIBASE Radioで配信されていた「組織学習になぜアジャイルが必要なのか?」の回を視聴した。
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とても多くの学びを得ることができた。
僕は、アジャイルについて、ずいぶんと誤解していた。
なんとなくアジャイルでイメージしていたのは「2人以上のチームが、仕様書に頼ることなく双方でフィードバックしながら仕事を進めていくこと」というもの。そのことによって仕事は素早くなるし、外部環境変化にも柔軟に対応できるメリットがある。
それほど害のない誤解なのだけど、改善に関するPDCAを繰り返すだけがアジャイルではない。アジャイルの本質とは「Howの改善でなくWhyのリフレーミング」である。意思決定の前提を疑い、リフレームしていくことで組織に自律的な学習を促すことができるのだ。
たとえば、何かのプロダクトを作るとする。
これまでは事業を主導するプロダクトオーナーやプロジェクトマネジャーが外部の環境変化に敏感になれば良かった。その上で参画しているメンバーに対して「あれをしてくれ」「これをしてくれ」と依頼する。(極端な言い方だけど)
それを組織全体が「なんでこれやってるんだっけ?」と学習することで、プロダクトの質を上げることができるという話だ。
もちろん短期的にみると「なんでこれやってるんだっけ?」を喧々諤々とディスカッションし続けると効率が悪い。よくある長い会議のように、話し合った末に何も決まっていないということもある。
だがここで語られているのは、もっと長期的な視野に基づいたものである。
アジャイルや組織学習を早期から提唱していた経営学者・野中郁次郎さんも同様の見解だろう。彼のSECIモデルを見れば、数年単位での好循環を想定しているのは明らかだ。
個人の暗黙知がどう組織の形式知に変わり、それがさらに個人の暗黙知へと還元されていく。その中には目を覆うような組織的な失敗も孕むだろう。しかしそれも含めて組織学習には大切だし、より良いものを作っていくために必要なプロセスなのだ。
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CULTIBASE Radioでは配信の最後に「学びは、人との対話から生まれる」という話が出てきた。
そう考えると、ほぼ個人事業主のような形で、ひとり会社を運営している僕は「学べない」ことになるなと愕然とした。
ただ僕には、一緒に仕事をしてくれる取引先がいるし、Webサイト「ふつうごと」を通じて関われる人たちがいる。
この縁を大切にしつつ、組織という枠組みを超えて、社会における組織学習に貢献していきたいと思う。いつか!
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