「書嘉庵通信」より
島根県松江市にある私設図書館「書嘉庵」通信『2024年白露号』より
今回の号で、紹介された本。
【『暇と退屈の倫理学』】
國分功一郎 著
新潮文庫 (2021.12.23.)
【書嘉庵通信より転記しながら】
退屈と気晴らしが入り交じった「ナマ退屈さ」も、それなりにある。
それが、人間らしい「ナマ(生)」であった。
だが、世界にはそうした人間らしい「生を生きる(せいをいきる)事を許されていない人達が沢山いる。」
戦争・飢餓・貧困・災害
私達が生きる世界は、人間らしい「生」を許さない出来事に溢れている。
【途中略】
どうすれば、皆んなが「暇」と「暇を許す」社会が訪れるのか?
【解説より】
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
次に、出版社、書店、古書店それぞれの創業者に関する本が、紹介されています。
『角川書店を、いかに興したか?』
「一念一植」文豪吉川英治から贈られたこの言葉を座右の銘とし、戦後の出版界をリードした「昭和文学全集」をはじめとする様々な出版物を世に出していった、初代社長角川源義を中心とした角川書店の歩み。
『本屋稼業』
1905年、東京・新宿で薪炭問屋「紀伊國屋」の長男に生まれた田辺茂一は、幼い頃に父と入った丸善で、書店というものがもつ崇高で特別な雰囲気に魅せられた。
そして、22歳にして夢であった「紀伊國屋書店」を創業する。
茂一誕生の12年後、千葉・市川で軍人の息子として生をうけた松原治は、大学卒業後、満州鉄道に入社するも、28歳で陸軍少尉となり日本のために戦っていた。
彼らはまったく別々の人生を歩み、戦後も様々な人生経験を重ねていく。
そして1950年、二人は出会い、紀伊國屋書店再興や海外進出など、数々の大きなビジネスチャンスをつかんでいくのであった。
『本屋一代記』
京都では唯一岩波の本をそろえ、大正から昭和のはじめまで30余年間に花開き一代で終った西川誠光堂。京都でこの本屋を知らない学生はモグリといわれ、三高や京大生の集いの場となった書店の番台にあって、だれよりも学生たちを愛した“名物おばさん”西川ハル。いまはない伝説の本屋と、その時代を再現。
【反町茂雄】
『一古書肆の思い出』1〜5
埋もれた学術資料を発掘し、多くの重文・国宝を世に送った古書業界の大先達、反町弘文の自伝。
秘蔵の資料をもとに、明快な文章、臨場感あふれる描写で綴る60年の回想は、そのまま昭和の古典籍移動史であり、貴書珍本にまつわる秘話の面白さは他に類がない。
【1】内容
昭和大恐慌のさなか、東大卒業式の3日後に住込み小僧として古書業界に飛びこんだ著者の修業時代。その5年半の奮闘ぶりを豊富なデータと平明な文章で綴る。
【2】内容
昭和7年、著者は東京・本郷に古典籍専門の古書肆弘文荘を開業。一頭地を抜く販売目録を携え、戦争前夜から敗戦に至る暗い時代に、埋もれた古典籍を求めて全国を奔走する。
【3】内容
敗戦直後の大混乱期に没落の一途をたどった貴族や資産家や学者たちは生活の資を得るために稀本の数々を投げ売ることになる。市場に溢れかえった古文化財の流転を克明に描く。
【4】内容
舞台は昭和20年代後半から30年代。著者90年の生涯で最も華々しく輝いた時代の記録。全力全資力を投じての蒐集と頒布に奔走する様は小説にも優る感動を呼ぶ。
【5】内容
古典籍商として円熟期に入った昭和27~28年の回想。仕入の要諦や頒価の規準などを大公開。死の直前まで執筆を続け、ついに未完に終わった自伝完結篇。
2024.09.05.