『映画を愛する君へ』映画感想文・映画は自分なりに愛したらいいよね、と思いました
自伝的シネマエッセイというもので、監督ご自身の幼少の頃からのエピソードと、ドキュメンタリーが混ざった構成でした。
映画監督というのは映画人生のうち一度はこうして、映画愛を語る作品を作りたくなるものなのかもしれません。
ちょっぴり理屈っぽかったかも…こんなに難しく考えないといけないの?と思いました。
あらすじ
感想(ネタバレ含む)
私はフランスの名匠アルノー・デプレシャンも知らず、映画も詳しいわけではありません。それでも今映画が好きだからという気持ちだけで見に行きました。
そのため、ちょっと乗り切れない感じとなってしまいました。
少年時代の映画館体験や、映画部での活動など、年代ごとのエピソードが演じられるのですが、ごくごく普通の話であり、特にオチもなく、自己満足で終わっているように見えました。
これは私が無知なためでしょう。もっと彼の映画なり人物なりを知っていたら興味深く見られたと思います。
ひとつおや?と思ったのは、それぞれの年代を別の俳優さんが演じていて、いずれも線の細い美少年だったのですが、30代の時だけ、黒人のサリフ・シセになっていたことです。
これはどのような意味があるのか…もしかすると、誰にでもこのような時(転機)がある、という普遍性を持たせるためだったのかもしれないと想像しました。
文芸評論家のショシャナ・フェルマンのところは話が難しくてよくわからず眠くなり、数々の作品群を「見たような…何だっけこれ…全然知らんわ…」とモヤモヤ見送り、正直なところ少しつらかったです。
背伸びしてよく知らないものを見に行ったのが良くかったのでしょうね。
ただ、最後にフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』の話が出たのはとても嬉しかった!
1984年のトリュフォーが亡くなった日にこの映画を見ていたというアルノー・デプレシャン監督。
私もちょうどその前後に見て、とても心に残っていて、大好きな映画です。
貧しく勉強もできない中で、映画にのめり込んだ少年時代を送ったトリュフォー。スピルバーグなどもそうですが、アルノー・デプレシャン監督も彼に深く共感しているのでしょう。
全体的に映画としての感動はありませんでしたが、こういう作品もあるのだなという勉強になりました。
映画にお詳しい方や、アルノー・デプレシャン監督をよくご存知の方は楽しめる作品だと思います。
映画論というか、難しく考えることは私には無理なので、今まで通り楽しむことにいたします…。