外出自粛は「孤独という病」との戦いなのかもしれない

今日は結論も何もない、感想をだらだら書く日です。

最近、「現場の悲痛な叫び報告会場」になっている感のあるTwitter。

吐き出して、共感を得て、それが少しでも心を軽くするためになるのならまぁと思うんですが、今朝見かけたツイートで一つ、気になったものがありました。

引用はしませんが、要点をまとめると

・自分は金融機関に勤めているが、テレワークはもちろん短縮営業にもならない
・そんな中、「どこも開いてないでしょ、ここなら空いてると思った」と言って来店する高齢のお客さんがいた
・危機意識の低いお客さんが多く、いつ感染するかと思うと怖くて仕方がない

確かに、この状況は想像するだけで恐ろしいです。

感染拡大を防ぐためには、接触する人数を減らすことが鉄則。不要不急の外出は一番避けなければいけません。

私たちはこのような情報を目にしたとき、どうしても文章に書かれている「辛い思いをした側」の立場で考えてしまいがちです。

しかし、逆に「このケースでの高齢者が自分だったらどう思うだろう?」と考えてみると、また違う思いや考えが生まれてきます。


感染を広げないために、外出自粛をして自宅にいなければいけない。

それはわかる。それは、十分すぎるくらいわかっている。

しかし、数少ない情報ソースのテレビや新聞は不安を煽るような報道ばかり、家には同居の家族もいない。若い人たちは「ZOOM飲み会」やSNSでつながりを持てるけど、持っているツールは電話くらい。かけられる相手も、そんなに多いわけではない。

先の見えない中で、打つ手も少なく、しかしずっと一人で家にこもっていなければいけない。

……これって、想像以上に苦しいことだと思います。

直接会うことはなるべく避けなければいけない、それをオンラインで解消するためのテクノロジーも家にいないし使いこなすことも難しい、となるとできることがかなり限られてきます。

しかし、(実際にできるかどうかは別にして)そういった部分にも目と心を配らなければいけないんじゃないかなと思います。

☆Twitter

https://twitter.com/horiken_ss


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