【物理】我が誇り 屈折しようと 真っ直ぐに
先輩からお礼のメールが届く。「先日はお世話になりました。やっと職場復帰しました。素晴らしき宴に、はしゃぎ過ぎたせいか、翌日(20日)夕方から、たぶん38度以上の発熱で、フラフラになりながら何とか研修を受けていました。夜、やっと病院へ行き、新型インフルではなく扁桃腺炎と診断され、会社を休んでいたのです。貴君との宴の中で、私の頭に鮮明に残っているのは、本社の諸先輩方が『何故またベルなんかと交流があるのか不思議だ』と貴君へ素朴な疑問を呈しているとの報告です。周囲からの冷ややかなプレッシャーが多々ある中で、いまだに私という軽い神輿を担いてくれていることに涙が出ます。営業時代に安い焼肉を奢っておいた甲斐がありました。ミサイルのように襲ってくる野次に、竹槍1本で抗戦する惨状が暫く続くだろうけど、俺が出世するまで、あと10年待ってくれ。しょーもない先輩や無駄な同期は全てやっつけるよう頑張ります。」
私は新人の年にベルさんの居た北関東支社へ配属となり、共にセールスの苦楽を味わった。個性が強くて生意気だった先輩は敵も多かったが、私にはよく世話を焼いてくださった。その縁が切れること無く、互いに転勤や異動で環境が変わっても交流し続けていたのだった。21日の月曜日に京都の本社で研修が開催され、そのメンバーだった先輩は、研修前の土日にご出身の和歌山への帰省を兼ねて前泊していた。そこで、土曜の夜には久々に酒席を設けようと決し、和歌山と京都の中間点に当たる難波界隈で昔話に花を咲かせた次第である。因みに、研修には全国の支社や工場、物流センター等から選抜された35歳前後の社員が一斉に招集され、近い将来の幹部候補生として「これまでのキャリアを振り返り、組織内で今後リーダーシップを発揮するための能力を磨く」という課題に取り組んだらしい。ベルさんも32歳かあ。ということは私も数か月後には30か。光陰矢の如し。
「光波は電磁波の一種で、横波なんだ。電磁波には、電波、赤外線――熱線であるな、それと可視光線、紫外線、X線、γ線などがあり、この順番で振動数が多くなる、則ち波長が短くなるということだな。その名の通り、人間の目に感じることの出来る電磁波を『可視光線』と言い、その波長は3.7×10⁻⁷〔m〕~7.8×10⁻⁷〔m〕程であるが、目に感じる波長域は僅かに個人差がある。ある一定の波長を持つ光を単色光という。太陽や白熱電燈から発生する光は、色々な波長の光を含んでいるので白色となり、これを白色光と呼ぶわけだな。波長の単位で代表的なものは、1㎚(ナノメートル)=10⁻⁹〔m〕、それと1Å(オングストローム)=10⁻¹⁰〔m〕。まあ、ここまでが基本中の基本だな。
電磁波は媒質の無い真空中でも伝わる。可視光線の真空中での光速Cは、C=3×10⁸〔m/s〕で、1秒間に地球を7.5周する速さである。フランスのフィゾーが地上で初めて光速度Cを測定したんだ。この装置はこのようなもので、観測者と平面鏡を往復する距離2Lに、必要とした時間tを、回転歯車を用いて測定すると、こうなる。」――先生が黒板に何やら装置の図を書き始めるも、私の脳が授業に追い付かず、すでに地球7.5周分に匹敵する遅れをとる。
「光陰矢の如し」の「光」は日光、「陰」は月光。月日の経過を矢の飛ぶ速さなんかで喩えていた頃は、きっとまだまだ長閑だったのだろうな。平安京くらいの位置からだと、地球が自転するスピードは時速1,500kmにも及ぶ。矢のスピードが初速で150km/hだとしたら、その10倍の速さで、過酷なサラリーマン生活が過ぎ去っていることになる。難波の赤提灯でベル先輩の好物である「会社の愚痴」と「スルメの天婦羅」に酔い痴れたあの夜から干支が1.5周して現在に至るも、相変わらず組織の歯車から脱却できない惰性の日々。アルマン・フィゾーは30歳の若さで歯車を使った野外実験に成功したというが、蓋し高校の物理とは、凡人の人生がまさに可視光線の光速度Cにも劣らぬ勢いで流れていく現実を学ぶ場だったと云えよう。
「光の反射は『反射の法則』に従い、入射角イコール反射角になる。それと光の屈折、これは真空――まあ空気でもほぼ同じなんだが――真空からだな、或る媒質中へ光が進んで屈折したとき、或る媒質の屈折率を『絶対屈折率』と呼ぶ。n=sin i/sin rだな。屈折率n₁から屈折率n₂の媒質での境界面の屈折率を『相対屈折率』と呼ぶ。屈折率の大きい媒質から小さい媒質へ光が進むとき、その境界面での入射角が或る値以上となると、光が外へ出ずにだな、全て反射する。この現象が『全反射』というやつだ。光ファイバー、光通信、胃カメラ等に応用されている。n=sin 90°/sin i₀=1/ sin i₀則ちsin i₀=1/nということになる。例えば、魚は水の外の景色まで広角に全て見えるんだ。全反射を利用した魚眼レンズを持っているからな。だが、水面にフタをしてしまえば見えない。反射しないからな。
屈折では位相の変化は起きない。反射では屈折率の小の媒質から大の媒質へ光が進む場合に、境界面で位相がπ(=λ/2)だけズレる。これは固定端と考えることが出来るな。逆の場合では位相の変化は起きない。これが開放端に相当するというわけだ。
次に、光の回折と干渉を説明する。いいか、音波のところで教えたが、2つの音源から発生した波は、その周囲に『波が強め合う点』と『波が消える点』が規則的に発生したな。実は光にも同様の現象が起きるんだ。光の光路差PS₁~PS₂によって光の波長を求めることが出来る。図で覚えてしまうのが一番だから、どんどんノートを図で埋めていけよ。いいか、こうした解明を可能にしたのが、ヤングの実験だ。ヤングの干渉実験だと、このようにスリットは2本であったが、多数のスリットを等間隔に配置したものを『回折格子』と呼ぶ。回折格子は1cm当たり数千本のスリットがあるガラス板で、スリット感覚dを『格子定数』と呼ぶ。光路差はヤングの場合と同じこと。dx/l=d sinθ=λという式になる。例えば、水面に油を浮かせた状態で上から観察すると、油面が色づいて見えるだろ。これは油の表面で反射した光と、内側で反射した光との間に光路差があるために起こる現象なんだな。」――先生は「まあ、ここまでは分かるな。」と簡単に言うが、私が「ここまで」の中で理解できたのは、海に蓋すれば魚は何も見えないという事と、その蓋がタンカーから流出した黒い油だとすれば人も上から光路差なんて観察できたものではないという事、その2点くらいであった。それ以外の内容はまるで自分の人生には関係無いかの如き他人事だった。
トマス・ヤングが有名な実験に成功したのは32歳の頃だというから、難波で管を巻いていた頃のベルさんと同い年にして、自分の研究人生にも光が射すのを確認したわけだ。それに比べると、私達が人生を賭けた実験によって発見できたのは、自分が「屈折」したサラリーマンだという事実くらいのものだ。
「屈折してても、プライドだけは真っ直ぐ持とうやないか、誇り高き『民酒党』の諸君よ。」これがベル先輩の口癖だった。「ええか。酒なんちゅうのはなぁ、石油やら天然ガスやら小麦やら、国家レベルで価格や流通を統制するほど必要不可欠なもんとちゃう。どうでもええ嗜好品や。せやのに、国家レベルで製造免許を管理するし、国家レベルで消費税以外の税金を特別に徴収する風変りな飲み物や。国民生活に必要不可欠って程や無うても、完全に無うなっては困るもんなんや。申し訳ないけど、ビールやらウイスキーやらワインやら、そういうのは、国産にも品質の高いもんが仰山あるけど、無くなったかて困らん。西洋から輸入すればええ。あっちが本場やしな。やけどなあ、清酒やら焼酎やら酎ハイやら、そういうのは外国に無い。俺達が扱っているのは、国民酒なんやで、誇り高き『民酒党』諸君よ。俺達が本場!俺達が伝統!俺達の仕事は、日本固有の文化を守り育むお手伝いや。これ、意外と必要不可欠な仕事やで。」――キラキラしたネオンを映す道頓堀の水面が、ベルさんの声に共鳴するかのように揺れていた。
普段は酔えば会社の愚痴ばかり吐いている先輩だが、たまにこういう弁舌を振るうものだから、あの夜から干支が1.5周し、もう是といって人生の目標めいたものも無く、会社にしがみつく理由を失った私だが、ベルさんみたいな仲間が居てくださる価値を反芻し、「サラリーマンはつまらないけれど、この会社の会社員はもう少し辞めずに踏ん張ってみるか」という心持に成れる。ベルさんだけで無い。会社が私の活躍に期待している様子は、決して自惚れなどでは無く、人事部や上司との面接からも明明白白だ。この状況だけでも幸せではないか。それなりの恩返しをすべきではないか。そう自らに言い聞かせる。
気前の良い先輩は黙っていると財布が空になるまでご馳走してくださる。ここがご馳走されることに慣れ切った本物の政治家とは違うところだ。勝手に「高級料亭」と名付けては安い居酒屋をハシゴし、勝手に「ベル先生、これは献金ではありませんよ」などと馬鹿を抜かしながら、2軒目は私が礼儀として多めに支払う。しかし、帰りは黒塗りの高級車というわけにいかず、先生を南海の改札口までお見送りする。ここまでは良かったのだが、ホームのベンチで寝てしまったらしい。酔い潰れて眠ってしまう人々を私達は自嘲と自戒を込めて「自眠党」と称していたのだが、人間は一夜にして民酒党員にも自眠党員にも成れる。私達は一夜にして与党にも野党にも成れる自由で民主的な国民だ。
研修の翌日、即ち22日の火曜に、同じフロアとはいえ、ヤングの実験に必要な距離の何倍も遠くにある机から人事部長が態々私に近づいてきた。「研修で一人死んでる奴が居たけど、殺したのは君だそうじゃないか。久々に見たよ、三日酔いって選手を。」「いや~、中1日の登板なんですけどねえ。まさかの三日酔いでしたか。私は仕事が出来ないから死んでも構いませんけど、仕事の出来る先輩まで道連れは良くありませんでしたね。大変失礼しました。」「いずれ君もあの研修に出るんだから、くれぐれも返り血を浴びるような事は慎むように。」――部長は私を叱責しつつも、その顔には呆れを含んだ笑みの光波が漏れていた。
「なぜ男は仕事に命を賭すのか分かるか?ええモン食って、ええオンナを抱くためや。それだけの理由に決まっとるやんか。」人はここまでサラリーマン稼業というものに没頭できるのかと感心するほど、誰にも染まること無く、青春真っ盛りの会社生活を送り続けるベル先輩――その何色にも染まれない青春のスリットに「かなしみ」を垣間見たのは私だけだろうか・・・つづく