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心のざわつきは…

うりもさんのこちらの記事を読んで、私は心がざわついた。

凄く凄く素敵な記事。
素敵なご家族。

凄く素敵なお話なのに、私の心はざわついた。

いや、たぶんここ最近、私の心は何かしらざわついていた。

それがこの記事でより濃くなったんだと思う。

いや、逆かな?
私の心がざわついてるからこの記事が現れたのかな?


きっとこの記事には私の「羨ましい」があるからだ。

こんなダンナ様がこの世にいるんだってことをまざまざと見せつけられたからだ。

うりもさんの実際の姿はわからないけれど、スタエフでの印象からすると、きっとご家族にも話を振って、否定することなく、全肯定しながら話を聞き、話しやすい環境を作り、時折ツッコミを入れながらへぇ、ほお、そうなんだぁと相槌を打ちながら聞いているのだろうと推測される。

きっとご家族の前でも大きくは変わらないスタイルのような気がする。

だから、焼き鳥屋さんに行って、みんなで笑いながら話をして、何ならいつもならしないような恋愛話なんかもしちゃったりなんか出来ちゃうわけでしょ。

なんなんだこれは‼️

こんなホームドラマが本当にこの世にあるのか‼️

確かにこのようなしあわせなご家族はいる。
noteの世界でもそのような記事を目にしたりすることもある。

読ませていただくと、素敵〜と思う反面、私には縁遠い話だな…と思って、悲しい気持ちと虚しい気持ち、様々な感情が湧いてくることがある。

もう、私には諦めた光景だから何とも思わないはずなのに、閉めていた蓋がパカパカ開き出す。

そういうものに憧れはまだ持っているようだ。

だってやっぱり家族で笑い合うっていいもんね。

子供が大きくなっても

一緒に食事に行ったりできる関係性に

私は憧れていた。

それは私自身の親や兄弟と

そういうことをしてこなかったことで

自分が家族を持った時には

そのような家族の関係性になりたいと

いつしか思うようになった

『家族団欒の夜に』より抜粋

うりもさんは家族団欒に対する憧れがあり、そんな家族の関係性になりたいと書かれている。

つまり、うりもさんはただの憧れに終わらず、ちゃんと現実へと引き寄せたのだ。
ご自身の力で。

私とは正反対だ。


以前私が骨折した時。
ダンナに病院へ送ってもらう車の中は地獄のような時間だった。

私のダメなところ、今まで溜めこんでいた私への不平不満のちりつもをダンナは吐き出し、私はなす術もなくただただ申し訳ない気持ちとムカつく気持ちと情けない気持ちになりながら心を閉ざしていた。

そんなある日、たまたま2人でケタケタ笑い合ったことがあった。


この時のことを思い出すと今でも泣きそうになる。

私はこんなふうに笑い合っていたいんだ…。

いや、たぶん誰だってそう。

笑って生きていたい。
しあわせを感じて生きていたい。

そのしあわせは人それぞれだとしても、しあわせだなぁって感じる瞬間が多い方がいい。


だけど、もうムリなんだろうなと思ってしまう。


ダンナと会話をしていても何を言っているのか、わからないことがある。

ダンナは面白い。
面白いのに、つまらない。

なんかね。
普通の面白さじゃない面白さを持っていて、そこは凄く面白いの。

なのに、そうじゃない時のダンナの話はめちゃんこ面白くない。

人の悪口。
否定。
上から目線。
マウント。
俺の昔の自慢話。

聞いていて面白くないものばかり。

それさえなきゃめちゃくちゃ面白いのに、減点が多すぎる。
それが残念。
そこがもったいない。

今日も何やら話しかけてきて、聞いてみたけど、私には何が面白いのかわからないもので、反応に困るような、共感も出来ない話だった。

否定するのも面倒くさいし、肯定するには気が引けるものだった。

「うーん…」と濁すと
「何その反応」と。

いやいや、このくらいで勘弁してくださいなと思いつつ、のらりくらりと交わしながら話をなんとなく聞いていた。

この辺の返しが上手いといいんだろうけど、なかなか女優にはなれないのだ…。


そのうち、俺、この話を〇〇さんと飲んだ時に言いたいんだよなぁと言い出した。

〇〇さんというのは女性。
さらに、長年会っていない人だから、実際飲みに行くことはなさそうな現実味のない話。

しかもダンナは自分から誰かを飲みに誘うとかあまりしないし、それが女性ともなれば、絶対と言っていいほどしない。
だから、架空中の架空の話。

だけど、あまりにもしつこくどう思う?
この話をしたら〇〇さん、どう答えるかな?
などと聞いてくるし、前に軽くあしらったり、ムシをしたら凄く機嫌を損ねて面倒なことになったので、答えることにした。

「その話を〇〇さんにしたら、〇〇さんのあなたへの評価はだいぶ落ちると思うよ」と言った。

「え?なんで?」

彼にはその話をすることがどのくらい人を不快にするのかわかっていないようだった。

それどころか
「別に評価のこととか、下がるとか考えて話の段取り決めてねーし」と、謎の返しが来た。

「その話されて、笑えないでしょ。誰に、なんのメリットがあるの?」と言ったけど
「え?お前は聞きたくねーの?大人ぶっちゃって〜」と返ってきた。

…。
ダメだ。
全然伝わってない。

私はその話聞きたいとも思わないし思えない。
「評価下がるよ」と言ってるってことはその話、品がないですよって言ってることにも気づいていない。

理解が追いつかない。
ダンナも私の言っていることが理解出来ないのだろう。

価値観の違いなんて、誰にだってどこにだってある。

価値観が同じじゃなきゃいけないわけではないこともわかっている。

笑いのツボや好きなもの嫌いなもの、食の好みだって人それぞれだ。

みんな違ってみんないい。

んなこたぁわかってる。

それでも会話をしていて会話が成り立たない、お互いに理解が出来ないというのは、悲しすぎるんだ。
「このままでいいのかな?」って、何度も思ってしまうんだ。


だけど、ずっと笑えないわけでもない。
面白い時もあるわけで。

どん底で、最低最悪ってほどでもないから、
「まー、こんなもんでいいのかな?」っていう考えに落ちついたりするわけで。


あー、なんだか今は、こんなごちゃごちゃモヤモヤする考えが色々出てくる時期のようで、まとまりのない話で申し訳ないです…💧


もうちょい心の中をうろちょろしてみます。

中途半端な記事を最後までお読みいただきありがとうございます😊

しあわせをありがとうございます💖
うちなる平和を💕
シュカポン🐼

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