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あんのそとがわのこと

先日、映画『あんのこと』を観てきた。

あらすじ

公開から1ヶ月くらい経つのに、ありがたいことに、私が映画を観る前の事前情報は、ほぼこれだけだった。

主演が『不適切にもほどがある』に出ていた純子役の河合優実さんってこと。
刑事役に佐藤二郎さん。
記者として、稲垣吾郎。
へぇ、ゴローちゃんが出るんだぁ。
そんな感じだった。

ただ、あらすじを見る限り明るい話ではないことはわかっていた。

実際観た後、スッキリとはいかなかったし、色々考えさせられた。

この考えたというのは、主人公の『杏』についてではなく、佐藤二郎さん演じた刑事多々羅のこと。
もちろん、映画のタイトルが『あんのこと』というくらいだから、主人公の杏のこととか、杏の母親のこととかも考えたけど、なんだか色んなことを考える要素があったのは、多々羅のこと。

つまり、あんの外側(周りにいた人)のことを今回書いていきたいと思う。

この先ネタバレありです。

これから観る方。
ネタバレ勘弁という方はそっと閉じてくださいね。


ネタバレありきとか、映画の感想って書いたんだけど、もしかしたら映画の感想とはちょっと違うかもしれない。

映画の感想っていったら、杏役の河合優実さんの演技が良かったとか、あそこのあのシーンが印象的だったとか、そういうものかもしれない。

ゴローちゃんが歌うシーンがあってびっくりしたとか、杏のお母さんは、なんであーなの?とか、役所の人たちって、堅物で所詮お役所の仕事よねぇとか、理不尽な世の中よねぇとか言いたいことも色々あるけど…。

けど、今回私が書きたいのは多々羅のこと。

多々羅役の佐藤二郎さん


ここには、私の偏見と思い込み、妄想が含まれる。
だから、この記事は、映画感想とは言えないのかもしれない。

だけど、この胸の内を書きたいと思う。


上に載せたあらすじより少し詳しい内容が書かれた公式サイトのあらすじが、下のもの。

21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。
大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。
週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。

公式サイトより

こちらの公式サイトの内容は私は見ないで映画を観たので「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」ということは知らないまま映画を観ていた私。


なので、私は多々羅のことを組織には染まらず、人助けをする少し変わり者の刑事さんで、めちゃくちゃなこともするけど、いい人なんだろうなという感じで見ていた。

が、何だろう…時々ゾッとする場面があった。
私の中で違和感を感じる場面が。

刑事なのに、組織に従わない、タバコをポイ捨てする、唾を吐き散らすとか、そういう道徳的に変とかそういうところで感じた違和感じゃないんだよね。

私が違和感を感じたのはそこじゃない。

よくわからないけど
「ん?なんかこの人悪い人?かも…?」
「いや、まさか…」
「あれ?」というようなふとした場面がいくつかあった。


それは、私が実生活でも警戒するような言動だったと思う。

だけど、いくら考えても思い出せない。
どこのどんな場面だったのか。
何をどうした場面で私はそう感じたのか…。


私が感じた違和感というのは、果たして監督の演出だったのか、それとも佐藤二郎さんの演技力だったのかはわからない。

けど、あのさりげない違和感の与え方は本当に凄かった。
さりげなさすぎて思い出せないのが悔しい…。

こういう言動する人はやはり気をつけなくてはいけない。
信じてはいけないんだと、改めてわかった。
確信した。


…確信したけど、どこのどの場面だったのかは思い出せない…。


多々羅は薬物更生者への支援などして人助けをしている。
杏を含めて、社会でうまく生きていけない人たちのことを救ってもきた。

役所に行って、生活保護を受けられるように働きかけてくれたり、仕事を見つけてくれたり、母親からのDVから逃れるためにシェルターを用意して逃げる手助けをしてくれたり。

たぶん、杏だけではなく、多くの人たちをそうやって助けてあげていたんだと思う。

だから、自助グループで
「多々羅さんのおかげで今の自分があります」
みたいな感謝の言葉をたくさんもらっていたんだと思う。


この「〇〇さんのおかげで」
「〇〇さんがいてくれたから」
「〇〇さんに感謝」

たくさんの賞賛の声は、危険だ。

人は頼られたり褒められたりしたら嬉しいものだ。
多くの人は悪い気はしないと思う。

が、悪い気が起きてしまうことがある。


多々羅もきっと初めから女性に手を出すために自助グループを作ったり人助けをしてきたわけではないと思う。

刑事の仕事をしていて、ただ犯人を捕まえる。
悪いことをした人を捕まえる。
それだけじゃなにも解決しないことを感じていたんだと思う。

薬物依存者は、再犯率が高い。
薬から抜け出すことも難しい。

きっと何度も捕まえていたんだろう。

捕まえるだけじゃダメなんだ、捕まえるだけじゃ解決しないんだ、救いたい、そこから立ち直る何かが必要なんだと、最初は思って始めた自助グループなんじゃないかな?


そこで、本当に立ち直った人もいるだろうし、人生が変わって、生き直すことが出来た人もきっといると思う。

「ありがとう」
「あなたのおかげ」
「あなたがいてくれたから」
そんな賞賛の声を聞き、セミナーで声高らかに『いいこと』を言っているうちに、気持ちよくなっちゃったんじゃないかな?多々羅は。
(あ、もしかしてこのセミナーでの講演をしてる時の多々羅の喋り方も私が感じた違和感の一つかもしれない)

自分は、何者かになったかのような錯覚を起こしてしまったんじゃないかな?
感謝され、褒められ、崇められているうちに、自分の価値を履き違えてしまう罠にハマってしまったんじゃないかな?

多々羅のような思いになることは少なからず、誰にだってあると思う。

私にだってある。
私こそある。

だから私は褒められるのが苦手なのかもしれない。

プロの三軍ではない私はすぐ勘違いして調子こくから。
これだから、アマチュアの三軍は危険なのだ。

だから私は気をつけないといけない。

いい気になってはいけない。

謙遜することもないけど、調子に乗っていい気にならないようにしないといけない。

いいことをすると外側からも自分の中の内側からも悪魔がやってくる。

「あなたの活動は素晴らしいですね」と言って近づいてくる悪魔もいる。

「このくらいやってるんだからちょっとくらい悪いことしてもバチ当たらないでしょ」なんていう自分の内側の悪魔の声も聞こえてくる。

すごいすごいと賞賛されること。
先生先生と崇められること。
急に人気者になること。
これらは危険だ。

急に売れてチヤホヤされる芸能人も危険。
天狗にさせられる。
勘違いしちゃうよねぇ。

強豪校の監督とかも危険。
凄い監督と褒められて崇められて、パワハラを生まされる。
叱咤激励とパワハラの境目がわからなくなっちゃうよねぇ。

急にモテる三軍上がりの一軍も危険。
調子こく。
浮気に走る。
…これは関係なかったか…。

セミナーでまるで自分はカリスマ性のある成功者みたいな振る舞いで熱弁してる人は苦手。
…これも関係ないか…。

昨日、私がメールの文章を間違えてしまったことをわざとらしく指摘してきたアイツも嫌い❗️
あんな言い方しなくてもいいじゃん‼️
普通にこれってこれですよね?でいいのにさ!
アイツのあの言い方‼️
思い出しただけでムカつく〜💢
あ、これは全く関係なかった。
失礼しました。
私の中の悪魔が暴れ出し、荒ぶってしまいました…。


自分がすごい人になったような感覚に陥って、人より上の立場になってしまったと錯覚して気持ちよさをそこに覚えてしまう。

自分は特別な存在なんだと思ってしまう。
人はみな特別な存在だけど、その特別の意味を吐き違えてしまう。

何者かになったかのような錯覚を起こす。

褒められたことによって、承認欲求が人から満たされて、そこに価値があると勘違いしちゃうのかな?

すごい人で居続けなきゃいけないと思ってしまう。
人を蹴落としてでも、自分が上と思わせるような行動をしてしまう。
そんなふうにどんどんズレてしまうこともあるのかもしれない。


逆もまたある。

自分が人を悪魔にさせてしまうこと。
人を褒めることは悪くはない。

凄いね。
あなたのおかげだよ。
あなたがいてくれたから今の私がいる。
あなたは特別。

だけど、時にそんな褒め言葉が相手を天狗にさせ、悪魔の心を作ってしまうことがある。

たまに、自分のことを卑下しながら他人を褒める人がいる。
「あなたは凄いね。私には出来ないことだわ」
「立派ですね。私なんて…」

心から凄いと思って褒めていることなんだろうけど、必要以上に自分を下げて、必要以上に他人を持ち上げすぎるとどうなるか。

褒められた人は褒めた人を自分より下だと思って接するようになる。
上下関係を自ら作り、王様を作り上げ、自分を無下に扱ってもいいですよ感を作ってしまうことがある。


これは、絶対ではない。
褒められても天狗にならず、いい気にならず、悪い気を起こさない人もいる。

たぶん、褒められて調子こいて悪魔になる人は褒めてくる人と同じ波長を持つ自己肯定感の低い人が多いんだと思う。

たぶん、自己肯定感が低い人ほどこの罠にハマりやすい気がする。

自分で自分を満たしてあげられないから。
自分で自分を褒めてあげられないから。


人から褒められて承認欲求を満たそうとしているうちは自己肯定感はどうしたって上がらない。

むしろそこを悪魔に利用される。
罠にハマる。

だから、褒める時も褒められる時も気をつけなくてはいけない。

多々羅は自分の近くにもいるし、自分の中にもいる。


…って、やっぱりこれは映画の感想でもなんでもなかったですね。

貴重なお時間を使って最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

しあわせをありがとうございます💖
うちなる平和を💕
シュカポン🐼

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