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連載: 不幸ブログと現実のキミ④

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第四話

 栗子のLINEにはリンクが貼られており、開くと
twitterが紐付けされていた。

  LINEに貼られた動画は
『真百合のイベント会場での乱闘』と題され
「まゆりんは人の不幸をネタにしてたの?」
「真百合ちゃんに嫉妬するブスとの格闘」
「毎日、不幸があるのが不自然」
「飯ネタにされたヤツwww」
といった様々なつぶやきと共に炎上していた。

 動画にはイベントに参加したファンの肉声が入り、被害者五人がそれぞれ異なる角度や位置で撮影していた。

 栗子以外の同級生からもLINEが届き
「私も不幸を真百合のブログに書かれた」
「由奈の気持ちも分かるけど、人に話したのが間違いじゃない?」といった意見もある。

 数時間後には、私への批判や攻撃的な意見でtwitterが新たな炎上を引き起こした。

 YouTubeでお馴染みのインフルエンサーが真百合の肩を持ったからだ。



 真百合ちゃんが雑魚キャラの不幸を「お焚き上げ」して昇華したまでのこと。
雑魚キャラは感謝すべきで、真百合ちゃんを通じて不幸に共感してくれた人が増えた。

 インフルエンサーになると、自分のブランドや影響力を高めるために他人の経験を利用することが最も効果的だと考えるのは、テレビ番組やノンフィクション作家も同様で、真百合ちゃんにとって他人の痛みや辛さは自分のブログを盛り上げるための素材としてしか見えていなかったのかもしれない。

 不幸を取り入れると読者や視聴者やフォロワーは「共感」を示し、自分のイメージを良くしようとしたのだと思う。

 実際の感情ではなく、表面的な共感を演出してより多くの支持を得ようとしたのは苦肉の策であり、しかしコンテンツを批判されるべきではない。

 インフルエンサーとしての地位を維持するには常に新しいコンテンツを提供しなければならないプレッシャーがある。
 結果的に読者が刺激的なストーリーを求めるあまり、真百合ちゃんが他人の不幸を無視して暴走したのは否めない。
読者へも責任があるのではないか。

 多分それは、真百合ちゃん自身が過去に何らかの傷を抱えている可能性を考えた場合、痛みを他人の経験に投影して存在意義を見出そうとしていたのかもしれないので、真百合ちゃんへ寄り添うべき。

 他人の不幸を扱うのは、自分の苦しみを軽減しようとする表れであり、被害者意識が高い人々は助け合いの精神が欠落している。

 複雑なバックボーンが真百合ちゃんの思考に影響を与えていると考えられるし、彼女は単なる自己中心的な人物でなく、深い心理的要因や社会的圧力が絡んでいるので、無闇に批判するのはお門違い。



 私はパソコンの前でYouTuberの意見を聞きながら
「つまり、インフルエンサーには倫理観が必要ないのね」と呆れ、
SNSを使って反論する気にもなれなかった。

 動画を観ながら、
他人の不幸を「昇華」や「仕事」と捉えることは倫理的に問題があると思った。
 個人の不幸を安易に利用するのではなく、黙秘し尊重されるものだと思う。

 雑魚キャラと称される私たちも、各々が人生を生きている個人であり、人の経験を無許可で利用し、自分の利益に変えることは暴露された人々に対する冒涜だよ。

 インフルエンサーが自分のブランド力を高めるのに他人の不幸を利用するのは、手段と目的が混同しているのではないか?
 影響力を高めたいのは理解できるが、建設的で前向きなコンテンツを発信することも可能だと思う。

 他人の痛みを利用して共感を集めるのは、
『共感を搾取』しているに等しい。
共感とは、相手の立場に立って理解し一緒に苦悩を分かち合うことでしょう?
他人の不幸を真百合の経験として商売道具にしていいわけがない。

 真百合が過去に傷を抱えているという事実があったとしても、行いの正当化には意味がないよ。

 YouTuberの言い分は、社会的圧力や心理的要因に責任転嫁し、自己責任を回避するための言い訳に過ぎないわ。

 批判は社会の不正や問題点を指摘し、改善を促す役割を果たすものだとして、
真百合の行為は社会的な問題として捉えられ、批判される問題じゃないのかな。

 私が批判をするには、真百合の背景や状況も考慮する必要はあるが、一方で私のように不幸を売り飛ばされた側の心理的影響や被害については見ようとしないのかね?

 私はYouTuberへの反論で頭がいっぱいになり、爪を噛んだ。
イライラする。

 真百合のやったことには倫理的な問題がある。
これだけ他人の不幸で私利私欲を肥やしたのだから、社会的な批判を受けて当然だと思うが、
このYouTuberや真百合を擁護する論理には、被害者への配慮が感じられず、手段と目的が混同してるよなぁ。

 私は、インフルエンサーは社会的な影響力を持つ存在として、責任ある行動をとる必要性を感じた。

                    続く→