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掌握: 付き合うって受容と共感

 部屋の窓際で、裕樹は静かにコーヒーをすすっていた。
 外は灰色の雲に覆われ、時折小雨が窓を叩く音が聞こえる。温かいカップを両手で包み込み、温もりに心を和ませていた。

 隣に座る綾香はカップを手にしながら深いため息をつく。
 髪は柔らかなブラウンで、光が当たるとほんのりと輝いて見える。しかし表情はどこか陰りを帯びていた。

「もう疲れた」

 綾香の声は雨音のざわめきの中でもひときわ響き渡る。
 最近、仕事が忙しく、上司からのプレッシャーに押し潰されそうになっていると言っていた。目の下にできたクマが疲労を物語っている。

「そっか、大変だったね」
裕樹はそう言いながら、綾香の顔を見つめる。
綾香の目はどこか虚ろで、この世を諦めたようだ。

 壁紙の暖かい色合いとは対照的に、綾香の心は冷たく暗い霧に包まれているように感じられた。

「大変っていうか。
なんかもう、生きるのがしんどいって感じ」

 裕樹は言葉に少し戸惑った。
(こういうとき、どう返せばいいのだろう?
共感するべきか、それともただ受け止めるべきか)

 部屋の壁にはアートが飾られ、静かな音楽が流れているが、モダンな雰囲気が二人の間にある緊張を和らげることはなかった。

「分かるよ、その気持ち」

 言葉を放つと綾香は眉をひそめた。
「えっ、裕樹も?
いつも冷静で、そんなふうに見えないけど」

 違う。
 僕は本当に綾香の気持ちが「わかる」わけじゃない。ただ寄り添おうとしているだけ。
けれど、その「わかる」という言葉が、かえって軽々しく響いてしまったのかもしれない。

「ごめん、うまく言えないけど。
でも綾香がしんどいのはちゃんと伝わってるよ」

 綾香は少し黙り、ゆっくりとカップを置いた。
視線は窓の外に向けられ、雨粒が流れる様子を見つめている。心の混乱を外の世界に投影しているかのようだ。

「裕樹ってさ、そういうとこあるよね」

「どういうとこ?」

「ちゃんと話を聞いてくれるけど、あんまり感情をのせないというか」

 それは裕樹にとって無意識のことだった。

 相手の気持ちを尊重するつもりで、できるだけ冷静に受け止めていた。
しかし、それが距離を感じさせることもあるのかもしれない。香ばしいコーヒーの香りが漂う中、裕樹は事実に心を痛めた。

「それって、ダメなこと?」

「ううん。
むしろ、そういう人がいてくれるのは助かるかな」

 綾香は少し笑った。
笑顔はどこかほっとしたように見えた。

「共感ばかりされると、なんか一緒に沈んじゃう気がするんだよね。
裕樹みたいに『うん、そうなんだね』って受け止めてくれるだけでも、なんか安心する」

「そう?」

「うん。
でもたまには、もうちょっと感情をのせてくれてもいいかなって思うこともあるけど」

 綾香は冗談めかして笑った。
裕樹つられて微笑む。

 雨は少しずつ弱まり、薄日が差し込んできた。
光が二人のテーブルに当たり、温かい雰囲気を作り出している。

「じゃあ、もうちょっと頑張るわ」

「ぼちぼちな」

 何気ない会話の中で、裕樹は少しだけ気づいた。

『受容と共感』
バランスを取ることが、きっと大切なんだ。
静かな空間に、二人の心が少しずつ近づいていくのを感じた。