評価されぬものの価値
三葉亭八起さま
手紙をありがとう。
そして、遅ればせながら明けましておめでとう。
年末年始もバイト、お疲れさまでした。
寒い中、大変だったのではないでしょうか。
三葉亭くんの小説を書くことについての悩み、
とてもよく分かります。自分のために書いているはずなのに、ふと「これに意味があるのか?」と思ってしまうことってありますよ。
でも、俺は三葉亭くんの書くことが好きだという気持ちが大事だと思っています。
「評価や売上を気にしないほうがいい」
なんて簡単には言えないよ、俺も気にしている。
しかし少なくとも好きで書けること自体が、既に凄いことなんじゃないかな。
作品の価値と市場評価は必ずしも一致しない。
俺から見ると、三葉亭くんの小説が本質や普遍を突いてくるのに、高い評価を受けないのはなぜなのか不思議です。
世の中には、本当に優れた作品でも埋もれてしまうものがたくさんある。
逆に一時的な流行に乗った作品が大ヒットすることもあるね。
つまり、作品の良し悪しと売れる・評価されるかは別の話になると考えているんだよ。
特に今の時代、瞬間的な楽しさや読みやすさが求められやすく、じっくりと本質を掘り下げる作品は刺さる人には深く刺さるけど、大衆の広がりには欠けるのが多いかもしれないね。
まあ、哲学があり、本質を突く作品ほど万人向けではなくなりますかね。
ドストエフスキーがそうでしょう。
三葉亭くんのように普遍的なテーマを扱い、一線を画する作品を書く人は貴重です。
だけど、そういう作品は分かる人には分かるが、大勢には伝わりにくいんですね(笑)
例えば、深く考えさせられる作品は、
読者の心理へ負担をかけることもあり、エンタメとして消費しにくいので、話題になりにくい。
時代や流行に迎合しないでしょう?
評価されるのに時間がかかるなどといった理由で、すぐに結果が出ないのが多いのだと思います。
俺たちは、読まれるための工夫が足りない可能性もありますね。
作品が評価されない理由のひとつに、読者へ届くまでの工夫が足りないかもしれません。
タイトルのインパクトが弱く、SNSなどネットやマスコミを使ったプロモーションや発信力、バズるまでに至る投稿が不足しているとか。
長文が読みこなせる年齢層とのミスマッチが起きて、作品そのものの価値とは別に、届くべき人に届いていない気がします。
すぐに評価されるものではないと割り切るか、
きみの作品のように本質を突いた小説は時間が経ってから評価されると待つか。
一時的な流行には乗らなくても、長い目で見れば、晩年、価値が認められる可能性も充分にありますよ。
日本人の国語力は低下の一方だと新聞で読みました。三葉亭くんも検索してくれると幸いです。
そこで、小説のテーマの入り口を分かりやすくし、読者の興味を引くタイトルや構成を意識すると、より多くの人に届くかもしれませんね。
売れることだけを目指す必要はないですが、読者が作品に出会いやすくする努力はしてもいいかもしれません。
それに現代は情報過多で
「自分は発信したいが、他人のは読みません」
これらの類いがいます。変えられない現実だよ。
分かる人に届けばいいと開き直り、万人受けしない作品には、必ず深く刺さる読者がいます。
三葉亭くんの作品を理解し、心に残る読者がいるなら誇りを持ってもいいのではないでしょうか。
もし今、書くことに意味があるのかと考えてしまうなら、いったん思考をやめてもいいのかもしれません。意味なんて後からついてくるものかもしれませんよ。
寒い日が続きますので、どうかお身体を大切に。
また手紙をいただけたら嬉しいです。
2025年1月11日 神宮寺凌 拝