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短編: 数少ない庶民の娯楽

「だから完璧だと言っているんです」

 目隠しの向こうで知らない男が呆れたような、不貞腐れた声で訴えていた。

「でもお前の工房ではのこと。私の目の前での完璧ではない」

 剣のような声は多分中年の女で、彼女の発声からは身分の高さが伺えた。

「どうして言っても分からないんですか?」男の問いに、女は冷たく返す。

「聞いても分からぬから、私の前で完璧を証明してくれと話しているのだ」

 察するに、この男女は大勢に囲まれているらしく、微かな金属が擦れる音や、床に軽く当たる音が聞こえてくる。

 俺は冷たい風が鼻先に当たる場所で手足を拘束され、口には猿轡を噛まされている。

 椅子に座った状態だが、どういう経緯でここにいるのか説明できない。最後の記憶は、会社の同僚たちと駅前のカラオケ屋を出たところまでしかない。

 恐怖や痛みは感じないが、聞こえてきた会話で意識が戻ると、身は拘束されていた。
 会話のおかげで失神している振りをするのが安全だと、俺は静寂の一部となっている。

 さっきまでの荒々しい声が、人が変わったように慈愛の言葉に変わる。
「分かりました。そこまで言うならお前を信じよう。お前なら何かあっても全責任を負ってくれそうだからな」

 衣が擦れる音は、女が立ち上がったのか、慌てた様子で靴を石畳に叩く音と共に男は
「かしこまりました。今から完璧を証明いたします」と告げる。

 足音が木製の階段を数回踏み、金属の箱へ入ったのか、金属板へ跪く鈍い音がする。
細く「キュー」と蓋が閉まる。

 金属板に手足を這う音は確認作業を進めている証だとして、辺りには油の臭いが立ち込めてきた。

 俺の前方から一人が鉄棒を床へ突き、一斉に集団の体勢が変わった。

ー続く (702字)

#逆噴射小説大賞2024