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言葉は根を張り、春に花が咲く

 人々は花になりたがり、本物は木になりたがる。

 温暖前線の影響を受け、脆く散る花よ。
書く人は賞レースに身を投じ、一喜一憂して枯れていく。それもまた定めであり、自分が何者かを知った跡かもしれない。
受賞や評価は結果に過ぎず、プロセスの一部に過ぎない。

 雨に打たれる木は、自分の言葉が自己表現の手段であるのを知っている。
書くのが好きで、その中で自分自身を見つけていくことが成長に繋がると信じている。

 本物は種や接木から芽を出し、天との根比べ。
花が咲くのは過程であり、目的はそこにはない。



 書くことは生きること。

 老木になっても根づき、存在感を示し、燃料や家屋になりリスペクトされてゆく。

 花が咲かない木に意味はないのか。

 木は葉や実をつけ、脈々と分身を残してゆく。美しい花びらには、残念ながら葉や実を残す力はない。

 花があれば尚良し。

 しかし、来年の花びらは今年の花びらではない。本物は木になりたがる。木は地味で目立たないかもしれないが、今年の木は来年もそこに鎮座している。安定して葉をつけ、紅葉して冬を迎える。

 書くことは人生と似て、時の中で理を知る。



 受賞や評価は確かに素晴らしい。
しかし、受賞を目指して書くことと、書くこと自体を楽しむことには微妙な違いがある。
本音を見つめる違いかもしれない。

 書くことが楽しい。
でも評価されないと不安になる。
どちらが本音なのか。

 新しいアイデアが浮かんで指が疼く。だが、端末を前に他人の目を気にしてしまう自分がいた。

 芸術に課するコンプライアンスを守ったつもりで書いた、初めての長編小説もどきを投稿したとき、期待と不安が入り混じっていた。
そのときのわたしは評価が全てになっていた。

 数ヶ月後、友人が受賞したと聞くと、
誰よりも嬉しくはしゃいだ反面、
自分は何をしているのかと考えてしまい、書くのを止めようか迷った。

 このまま続け、果たして何を得られるのか、評価されないまま終わってしまうのではないか。

 何者になりたいのか。

 問いは自分自身を見つめ直す機会であり
「わたしは何のために書いているのか」
「どんなモノを書きたいのか」といった答えに足掻くのは、極寒に沈黙した木のようだ。

 そういえばフィードバックも受けていない。
挨拶がてらに
「忙しくて読めない」というLINEを幾つかもらい、わたしの作品は読む価値がないと言われれば、
確かにそうかもしれない。

 なぜなら文章にはルールがあり、形があるからだ。頭に浮かぶものを書けば良いというわけではない。

 わたしは何が書きたかったのだろう。
 書くための方法は果たして合っていたのか。
ああ、賞がほしいのではない。



 不条理が加速する世の中を合法的にぶん殴りたいと思っていた。

 わたしが『タツジュンとキンクマの小説』を書いた春先、司法はパパ活女子の裁判が始まって、
ネットやリアルはパパ活女子を擁護して、詐欺被害に遭った男性が誹謗中傷されていた。

   詐欺事件を起こし、脱税までして、パパ活女子のどこが可哀想なんだよ。
被害者が誹謗中傷されなきゃいけないんだ。

 腐敗した社会を見過ごすことは、共犯と変わらないのではないか。

 文章を書くことで好きなだけ殴り倒し、メンタルが安定している実感があった。



 桜の花は、わずか1週間の間に咲き誇る。その美しさは儚い。しかし、木は何年、何十年と生き続け、根を深く張り、毎春、新しい花を咲かせる。

 春は新しい物語が芽吹く季節だ。桜が散った後でも木は成長し続けるように、書く人もまた、言葉を紡ぎ続ける。

 書く人も一瞬の華やかさにとらわれず、木のように長い目で見て創作を続けることが大切だ。
 短いサイクルで一つの作品が評価されることに囚われてしまうと、書くこと自体を辞めてしまうかもしれない。

 あなたが今、評価に悩み、筆を止めかけているなら思い出してほしい。
木はすぐに大きくならない。
 でも根を張り続ければ、いつか大地にしっかりと根づく。あなたの言葉も、きっと誰かの心に届く。

 木のように少しずつ成長し、豊かな実をつけるための必要なプロセスがあり、一つの作品が終わっても、次の作品が待っている。その繰り返しが自分を作り上げ、新たな美しさを生む。

 短い花びらの美しさに心を奪われるのではなく、その背後にある木の強さを思い出したい。創作は、楽しむものだから。

 自分の言葉が長い年月をかけて育まれ、やがて素晴らしい実を結ぶことを願う。



 あなたが書く理由は、「賞が欲しいから」
「知名度を上げたいから」
「有名人になってお金になるから」

 わたしは違う。書くことが好きだから。
 社会を回し蹴りして
「アンタ、間違ってるよ」と言いたい。

 創作は、一つの受賞で終わるものではない。成長し続けるもの。
わたしの言葉がわたし自身を表現する手段であり、書くことが好き。

 誰かのためという、誰のためにもならないものは、自分のためにもならない。

自分のために、声を指に乗せて書け。

#第2回灯火杯
#灯火さん

☆・:*+.\ 灯火さん /.:+☆

企画に参加させていただき
ありがとうございます
しかし、課題が面白そうだから書いたので
『わたしの審査は不要』です

課題の趣旨はメッセージ性が必要でした
あえて強い口調にしてみました
ご覧いただきありがとうございます

#灯火_ココロ_カタチ_ヅクル_リ_キュレーターさん