結論のない話は疲労が溜まる
わたしは愚痴を聞くのは苦にならず
「結論のない話」は、明るい話でも疲労が溜まる
結論から話せと思っていないにせよ
事実と感情を混ぜて
あちこちに話題が飛ぶ語りは、時間があれば聞く
そうじゃなければ、勘弁してほしい
「一方的な長話」から得る情報はなぜか、ない
終わりが見えないから
わたしが脳から遮断したのかもしれない
簡潔に話す会話に味気ないのは理解できても
「自分語り」は、話の出発から連想ゲームのようで
「どうして、今はこうなっているんだろう」
思わず「で⁈」と、結論を促す
去年5月、適応障害の診断を受ける前
特定のスタッフから話しかけられると、頭痛がした
業務連絡にしろ、話に取り留めがない
申し送りするメモは、肝心な部分が抜け
結局、このスタッフが休みの日に電話で確認した
わたしからの注意は届く気配がなかった
多様性の時代、わたしが現役で働いていたら
このスタッフに合わせた書式を作成してのか
そして、書式を埋める時間を他のスタッフに
労働強化させていたかもしれない、こう考えると
わたし達は、全員クビになって良かった
現在の人間関係は、会話が長くなっても
話題が集中しているので、無駄なく面白い
幸い、わたしの理想的な環境にいる
次に就職するなら「多忙で話す暇がない」が
案外、自分に合っていると感じている