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率直に言って変わる気がない

わたしの心は老化して
異性も同性も人間と見做してしまった

そもそも
他人に対してわたしは外見を気にしない

「かわいいですね」「イケメンですね」
ここに偽りはない
「素敵な店ですね」「綺麗な花ですね」
カテゴリーは、ここ
良いものは良いと言っているに過ぎない

白髪が増えた、薄毛になった、太った痩せたと気にする小声を聞いて
「私は気にしないよ」と言う
しかし、そんな私も自分の外見を気にする

この矛盾はなんなの

外見を気にしないと言いながら
自分自身の見た目について考えてしまうのは
よくあることと信じたいのだが
社会的な圧力や周囲の影響は
自分の外見について気にする要素になる

他人には「気にしない」と告げる
人に対する優しさを示しているのかもしれない
だが、自分自身のことになると
どうしても比較や評価が頭をよぎる
この矛盾がとても疑問だよ

性格重視でも、なかなか信じてもらえない

一緒にいると外見は気にならない
清潔であればいい
『清潔感』じゃない、清潔

気になるのは、行動
行動は性格と結びついており
わたしはどんなに容姿が良くても
物言いや当たりがキツい人と一緒に居られない

そういえば
性格重視と信用してもらえないのはなぜだろう

性格重視と告げても周囲の人が意図を理解するのは難しいのかもしれない

外見が第一印象を左右することが多い社会では
外見に基づく判断が先行しがちでしょう?
基準があるので、わたしの本心を信じてもらえない

考えてみると
性格や行動は時間をかけて理解される
初対面や短時間では外見や第一印象が強く残るので性格重視だと伝えても
信頼を築くのには時間がかかる

余談だが、わたしを正当化した偏見で
異性が外見を気にするって
異性は若くて可愛い子が良いと言ってるんだなと解釈している

外見や年齢を重視する異性が多い中で
社会的価値観に対し、反発を感じることがある

異性が外見を気にするのは
個人の好みというより
社会的な影響や文化的な背景が大きいと思う
トロフィーワイフという言葉があるからさ


異性を人間と見做しているので
新たな出会いが生まれるかもしれないが 
あくまでも自分の価値観は変える気がない

柔軟になれないんですよ

男性が多数の環境で得た経験は
周囲が発したえげつないセリフから学んだ
いっときは慎重になっていたし
周囲の人々の考え方や行動に対して疑念を抱く

経験や観察から来ている気持ち、この考えは
簡単に崩れるものではなく
自分を守るための防衛本能の一部だよ

ちょっとでも信頼できる人との関係を築いていけば自分の中へ
柔軟さを持つ余地が生まれるかもしれない

率直に言って無理に価値観を変える必要はない