旬の自分を切り取ったようなもの
書いているときに自分に科すルールってあったかな、と振り返り、
ここ半年ぐらいは、おとなしくなった気がする。
「気がする」だけで数値化できてない。
『感情八分』
腹八分と同じく、ほどほどのところで抑える。
記事を出す前は言いたい放題だとしても、
投稿前は数行、潔く削除してしまう。
わたしは実社会を生きている。
誰しもそうだが、
実社会での出来事を感情にかまけて書き、
「ももまろにアタシの悪口を書かれた!」は
非常に面倒くさい。
はっきり言っちゃうと、
「あなたを注視するわけないじゃん」って。
自意識過剰だなと、逆に恐ろしくなる。
しかし、被害者意識が強い性質の人がいる以上、
noteが居場所の人がいる以上、
忖度は思いやりだと思って、削除する。
それ以外は特に書くルールはないかな。
基本、わたしはわたしのために書く。
誰かを楽しませようなど思ってない。
話術がないので、人様の話を聞いているぐらいで、
こんなわたしの話は誰も興味がないと、
好き勝手にnoteを書いている。
人に諦めて生きてるもん
これといった華がないと、
たとえそれが造花でも、
ハナがないと見向きはされないからさ。
それでも、書くことにはやっぱり魅力がある。
自分の思いを言葉にすることで、
少しでも心の整理ができる。
だからルールがあるって言っても、
結局は自由にやってる部分も大きいんだよね。
たまに自分の書いたものを読み返してみると、
「ああ、こんなこと考えてたんだ」
笑ったりする。
感情って時間が経つと変わるから、
旬の自分を切り取ったようなものなんだなと思う。
削除することもあるけれど、
残しておくことで過去の自分を知る手がかりになる場合も多少はある。
他人の目を気にすることもあるけど、
結局は自分のために書いてるんだから、
他人の評価は二の次。
スキやviewはアテにならない数字だよ、
ここの根拠は省略するとして、
それなら自分の想いを書こうや。
もちろん共感してくれる人がいると嬉しい。
でも、それを求めて書くわけじゃない。
自分のペースで、自分の言葉を大切にしたい。
これからも「私の書くルール」は変わらない。
思ったことをそのまま書く。
必要なら削除する。
そんな感じで自由に心の声をアウトプットする。
誰かのためにじゃなく、自分のために。
そうやって少しずつでも自分自身を知っていけたらいいなって思うのよ。
☆*:.。. ヤスさん.。.:*☆
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