サイゼで見つける10個目の間違い
『間違い探しの女王』と心でほくそ笑みながら、満足して帰るのが、よりサイゼを楽しむコツ。
料理も好きだが、間違い探しはもっと好き。
何が目的だが分りゃしないほど、サイゼは家の近くにあり、夕飯を作るのが面倒な日はサイゼへ行って贅沢な時間を過ごす。
「こんなに注文したのに」品数に対して、安い。
一時期、「デートにサイゼなんて」とサイゼ論争がネットを賑わせた。
チェーン店=安く見積もられたと憤慨する人もいるが、店や値段で「大切にされているか」を判断するのは、むしろ出会いを逃すことになるのではないか。
サイゼに連れて行く=気の置けない人。私の解釈や価値観はそうだ。
ドレスコードを守り、ぎこちない手つきと一口で食べ終わりそうなディッシュをいただき、食べた気がしない空きっ腹で大枚を払う。
見栄ばかりでお金がかかる女が選ばれないのも無理はない。
「サイゼ? いいですねぇ。
アラビアータが好きなんですよ」
互いにある、サイゼへの思い出話に耳を傾けながら、温かなときを過ごせる女性が選ばれる気がしてならない。
間違い探しを凝視してもなかなか見つけられない人とざっくり見て10個の間違いを言い当てる人との差が、サイゼ論争の焦点に似ている。
自分を買い被らず、鷹揚であれば見つかりやすい答えをなかなか拾えずにいるって、そういうことじゃないのかな。
今日もサイゼの前を通過し、家に帰ってきた。
時々無性に食べたくなるのが、
『たまねぎのズッパ』
毎日食べても飽きなそうな『小エビのサラダ』
好きな人へ対する想いに似ている。
通い慣れた店内は、ほどよく賑やか。
年末、いつものように夕飯を作るのが面倒になり、ふらっとサイゼへ向かった。
席についてやっぱり注文するのは決まっている。「小エビのサラダ」と「たまねぎのズッパ」
いつもと同じ流れで注文し、料理が来るのを待ちながらテーブルに置かれた「間違い探し」に手を伸ばした。
「今回は簡単そうだな」
そう思っていたのに、なかなか10個目が見つからない。なんとなく焦る。こういうとき、隣に誰かいれば「どこか分かる?」と聞けるのに。
以前、友達と来たときは、私が先に9個見つけて得意げになったが、最後の1個を友達がさらっと見つけたとき、妙に悔しかった。
思えば、昔つきあっていた彼ともサイゼで間違い探しをしたことがある。
彼は「こんなの余裕でしょ」と言いながら3個しか見つけられず、私が「ほら、ここ!」教えると「え、ズルくない?」ふてくされていた。
そんな彼の顔を思い出し、少しだけ笑ってしまう。
そのとき、ふと「あ」気づく。
10個目の間違いを発見した。
サラダをつつきながら、私はぼんやり考える。
間違い探しは、見つけられる人と見つけられない人がいる。けれど、それは優劣ではなく、単に「気づくかどうか」の違い。
人間関係も同じなのかもしれない。
相手の小さな変化や気遣いに気づくかどうか。それができる人と、できない人がいる。
食事を終えて店を出ると、夕方の空気が心地よい。またサイゼで小さな満足を得た。
何か特別なことがあったわけじゃないけど、
それでいい。サイゼは、そういう場所なのよ。
🍎✨*:.。. o福島太郎さんo .。.:*✨🍎
お世話になります
文学賞に参加させていただき
誠にありがとうございます
サイゼで心がときめき
『間違い探し』を記事にできた喜びでいっぱいです