わたしは可哀想じゃない
ところで『傷つく』って、なんですかね?
「ももまろさん、傷ついたでしょう」
「あんなことを言われたら傷つくよね」
「傷ついた。悲しい」
傷つくって、どの辺りが破損したんですか?
脳内伝達物質が上手く分泌できない
もしくは過剰に出ることなんですか
「傷ついた」
先に言った者勝ちで
ビーチフラッグスみたいなものですか
「傷ついた」
他人の主観をわたしが受け入れろって意味ですか
わたしは、家族、レオ氏や幼なじみ2人を
受け入れる意思や必要があるから聞くけど
それ以外は聞き流していいと思っている
わたしの経験や観測から
傷つくとは、無闇な暴言や暴力以外
ほとんどのケースで
誰かの攻撃的な言葉や態度などではなく
相手の言動を攻撃的だと
「自分で察知」→「自分で自分を攻撃する」
こんな形に見えているのね
どう言えばいいのかな
例えば
「ももまろはブスだ」と言われても
わたしがブスだと思っていなければ傷つかない
逆に「ブスはお前だよ」言い返す
わたしが相手より圧倒的な経験や能力があると
思っていれば、悪く言われても
「今、言い返せば面倒くさい」
「拗れたらそれだけ周囲に波及してしまう」
「空気が悪くなって損をする」
↓
「無視しよう」
他人からブスと言われて傷つくのは
他人の言葉より自分がブスだと自覚して
自分の心に原因があるから傷つく
だからコンプレックスを直せって話じゃないよ
「自分がされて嫌なこと」
ここにも主観が伴うから、無闇な暴言や暴力以外
わたしはベタベタされるのがイヤだから
密になり過ぎるのは避けたいところ
しかし、他人は違う可能性があり
「友達なら友達らしくベタベタしないと
傷ついちゃう」
されてイヤなことに個人差があるのを忘れないこと
ほぼ毎日noteを書いていて
自分の思考癖や感情が文字になっている
会社で監禁されてPTSD
(医師からの診断によるPTSD)になった過去や
マルチ商法の人達に囲まれ苦痛だった体験は
潜在的な傷になっているのが文章に出ている
内観して書き出して良かった点は
脳内で考えたり感じたり排出しない感情は
ずっと滞り考えや視野が凝り固まるのを
書く作業で防止している
悪い思考が癒着すると
他人の言動を何でも自分への攻撃と見做し
先にも話したように、自分が自分を責めるので
自分が傷ついた原因について深慮しない
「相手が悪い」相手に執着し、“攻め”続ける
自己憐憫から無力感が高まり、人へ萎縮するループを辿り、他人へ対しての被害妄想や傷つきやすい心
生涯、改善していかないなら
自分へ自信を持つことなく、傷つき癖が身につき
周囲へ向かって誇張や虚言まで飛び出す
わたしが受けた恐怖、屈辱と怒り
それらを文章の癖から思索して
どうして傷ついたか分析していく
自分が自分の感情を受容すると、感情が冷めて
自分の心の動きが見えてくる
問題点から解釈の仕方を変え解決法を模索してみる
この作業を
ポジティブというのだと思っている
傷ついても、医師や周りの手を借りながら
ある程度は自分でリカバリーできる、ある程度は