見出し画像

連載: 駄菓子屋ひなた堂の日記①

 駅近くに佇む駄菓子屋「ひなた堂」。父から受け継いだ店を営む日髙奈々は、訪れる人々の何気ない会話に耳を傾けながら、人の選択や悩みにそっと寄り添っていく。娘・和紗の進路、夫の行方不明、母としての役割。奈々自身もまた、人生の岐路に立つ一人。
ある夜、店を訪れた男児について行った先へ殺人未遂事件があり、加害者となった母親の逮捕。母親の恋人の存在。奈々は彼との対話を通じて、過去の選択と人の繋がりを改めて見つめる。
人は迷いの中で居場所を求め、陽だまりのような「ひなた堂」に集まる。そしてまた、それぞれの道を歩み始める。人生の交差点として駄菓子屋を舞台に、人々の「因果と選択」を描くヒューマンドラマ。

 駄菓子屋のドアベルがチリンと鳴った。

 朝の陽射しが白木のカウンターを照らし、店内に広がる甘い匂いが幼い日の記憶を呼び起こすようだ。それはもう誰も覚えていないかもしれない町の記憶。けれど、私にはその一つ一つが宝物だ。

 変わりすぎた町は、どこかよそよそしく感じる。でも、店のドアベルの音だけは変わらない。

 「奈々ちゃん、また値段上げたんか?」ヤスさんが開口一番、いつもの文句を言う。

 目の前の壁へ、ひっそりと貼られたポスターが視界に入る。
 学生時代、夫と遊んだ思い出が蘇る。あの頃の笑顔や無邪気な日々が、今の私に何を語りかけているのだろう。ふと、そのポスターを手に取ると、手のひらに温もりが戻ってくるような気がした。

 大学時代。夫と出会い私の心は彼に奪われた。彼の話す冒険の数々に刺激を受け、二人で世界を旅することを夢見ていた。しかし、その夢は今、行方不明の夫と共に消えてしまった。

 片側三車線の幹線道路に変わってしまったこの町で、そんな昔話を持ち出す人はもう数少ない。

 ここは駄菓子屋。でもカフェと勘違いして入る人が後を絶たない。でも一度入れば、みんな不思議とまた戻ってくる。なぜだろう。私にもその理由はまだ分からない。

 駄菓子屋を継いで五年が経ち、駅前再開発で整備された町並みへも慣れてくる。
常連客や新規客なども順調に増えて、人は人の温かみを求めているのだけはようやく理解できた。

 行政から割り振られた土地は駅前にあった実家から徒歩圏内で、昔の商店街は賑わいを見せた。

 八百屋、肉屋、文房具屋、スポーツ用品店などとカテゴリー別の小さな店舗がひしめいて、夏には祭りがあり、商店街を神輿が練り歩いた昭和の思い出は片側三車線の道路へ変貌を遂げ、私が幼稚園で転んだ傷へ絆創膏を貼ってくれた薬局も郊外の巨大ドラッグストアが薬局の跡を拭った。

 あの優しい薬剤師さんを覚えているのは私くらいかもしれない。けれど、あの思い出があるからこそ、この町が私にとって特別なんだ。

 再開発での引越しや親の高齢で、私は東京から娘を連れて帰ってきた。

 その娘も大学進学を機会にまた東京へ戻り、私は新しくなった駄菓子屋の二階へ居を構えて、気ままな生活を営む。

 念願だった猫を家族へ迎え、昼間は駄菓子屋でおしゃれ小物を作りながら接客をしている。

 白木でできた店はカフェと間違えて入店する客が大半を占める。しかし、駄菓子売り場へ併設したフリースペースで駄菓子や飲み物を買い、そのまま寛いで帰る人が絶えない。

「奈々ちゃん、今日はコーヒー牛乳が入っとるかいね」冷蔵棚へ近づく常連のヤスさんが
「今日はあるじゃないか、飲みたかったんよ」
私が声を発するまでもない。

「コーヒー牛乳も高くなったのぅ。昔は百円でお釣りが来たと思うとったが、『ひなた堂』がぼったくりしとるんじゃないかね」ヤスさんは私の父と同級生。口が悪い。

「ぼったくりなんて、人聞きが悪い。
まあ、ぼったくられたんじゃないかと思うほど、物価が上がりましたもんね」

「あんたは日髙の娘じゃけん、悪いことはしやせんけど。ほんまに物が高くて年金暮らしには冷えた社会と感じるよ。年金が少ないと厳しいけんね」

 ヤスさんの愚痴を聞きながら
「こうやって文句を言いに来るのも、彼なりの甘えなのかもしれない」
昔から口は悪いけど、本当は優しい人だよな。

 ヤスさんとの会話で『ひなた堂』の一日は始まる。どんなに時代が変わっても、駄菓子屋には人を繋ぐ力があるのかもしれない。

 あの頃の商店街は確かに賑やかだったけれど、今の静かな町並みも悪くない。むしろ、今は自分のペースで好きなように店をやれている。

 娘が東京に戻ったことは寂しかったが
「私の役目はここで終わったのかもしれない」と思いつつも、店を通じて新たな人間関係を築いているのは人に活かされて生きている手応えがある。