雑記:馬鹿を見るのか笑うのか
今でもたまに『マルハラスメント』と見る
文章に句点があるのがアウトだと思っていたら「LINEにおいて」なのね
ついで言うと『ハラスメント』と付けたのは
Abemaの人なんだね
一次ソースとなる元ネタを確認してきた
【LINEで句読点についての感想】が
【マルハラスメント】になっていた
初めマルハラスメントを知ったときは
随分と脆弱なメンタルだなと思ったが
「。が怖いです」
若者は正直に言った、そこは評価したい
ネットで盛大に叩かれて
「感想を言った自分は馬鹿をみた」と
思わないように
名指しではないとはいえ
アンケートに答えて叩かれてしまう
一次ソースも確認しないで、聞いたままだと
若者と年配の世代分断を進めそうで危惧する
これらを見ていると
正直者は馬鹿をみるものなんですよ
ビジネスでは、仕入れ→加工→販売
価値は上乗せして値付けをする
原価を原価のままではなく、定価にして売る
利益を出すには、当然のことで
ボランティアじゃないからさ
正直者の消費者は、値札通りの値段で買う
スーパーでいちいち値切る人を見たことがない
正直者は馬鹿をみるか?
商売人とは嘘つきは泥棒の始まりなのか
現実はそうじゃない
嘘つきといいとこ勝負で、正直者もタチが悪い
欲望に正直な人は、犯罪に手を染めている
車内での痴漢、お金欲しさの強盗
我が子より内縁の夫を優先し、子どもを殺す親
嫌いに忠実で、ネットへヘイトや誹謗中傷する人
欲しいから欲しい
やりたいからやる
正々堂々とやっていく正直者は
恐怖で表情が歪む人を犯している自分の欲に
快感と達成感があるのだろうね
一方「正直者が馬鹿をみる」
愚痴を言っている人を思い浮かべてみる
表情は暗くて、どこか失望している
自分のやりたいことに対して
正直ではなく、規則を遵守し
周りとの調和や他人を尊重しながら
自分の心へ嘘をついている
自分に嘘をつきながら
目先の利益に囚われず、不利益を被る
でも、素晴らしいのは
たとえ不遇であっても想いを貫く姿にあると思う
自分へ嘘をつくのに、正直とは何なのか
人様の気持ちを自分に置き換えたとき
「良心に基づき、これは正しい」
「自分がされたら嫌だな」
・ モラルと照らし合わせ
・ 素直な気持ちと一致した点
モラルが欠いて、嘘をついても正直じゃない
ビジネスにしろ
「これは適正な商売だから、ヨシ」
「幾らなんでもぼったくりじゃないか」は
自らのモラルと心に問いかけているように思う
「正直者は馬鹿を見る」は
包み隠さないことではなく、改善点として受け入れ
「正直者は最後に笑う」
長い目と広い視野で世の中を渡っていきたい