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エッセイ: もったいない天才
中学1年の初めてあった席替えは、5月。
ゴールデンウィーク明けに、くじ引きで席が割り当てられた。
しかし、私は事前に担任から呼び出され、
「1年間、Kの面倒をみてほしい」
Kとは学年一、IQが高い少年で頭はいいが、飲み込みが悪い。深読みと裏の裏の裏の…底まで考えてしまう性質があり、単細胞のわたしが、先生とKの通訳係に任命された。
どうして、わたくし⁈
まあ、いいや。Kは面白いもん。
安請け合いし、新しい席替えから隣同士になった。
Kはとても頭が良く、教科書を見ただけで暗記してしまう。テストは楽勝で羨ましいと思った。
だが、授業では、先生が説明したことがすぐに実行できない。
みんなが黒板に書いてあるのをノートへ写しているのに、周りの様子を見て同じことへ取り掛かる。
複雑な場合は
「黒板にある問題を写して解けだって」
こうして簡素化し、皆と同じ歩調で授業を進める。
誰かが冗談を言う。クラスがドッと爆笑に包まれる。Kだけ真顔で理解できていない様子。その都度、Kをチラ見して、わたしは自分のノートの端へイラストを描いて見せていた。
あれは夏休み前の美術だった。
正方形の立方体へ陰影をつける練習をしている最中、Kのスケッチブックを覗き見すると、陰影が一般的な影のつけ方と正反対で、わたしが焦った。
「影、逆だよ」
こっそり告げたつもりが
「なんで?」Kの大声は静寂を破った。
「だって……」
普通はこうじゃん?と言いたかった。
ペンケースを正方形の立方体に見立て、
左手をライトとし、右手で光を説明するのだが、全くKに納得してもらえない。
「じゃ、なんで天辺が一番暗いのよ」
質問すると、
「光が当たったとき、鮮明に色がみえるのは上じゃん」
……ああ、そういうことですか。
人によって物事の捉え方がこんなに違うんだ。
Kのお陰でわたしは賢くなった気がした。
保健体育の授業で性教育を習ったあと
「ももまろ、生理見せて」
鼻から食べていた給食が出てくるかと思った。
は?え? 今、なんて言った?
(お前はバカか!) このリクエストは2回あった。
Kに悪意がないのは分かる。だけどKは真実なのか純粋に知りたそうな目をした。
耳まで熱くなるほど赤面した、あの日。
どう言えばKに理解してもらえるか考えたが、
断ると
「なんで? 別に変な意味じゃないよ」
ナチュラルな言葉へ、断るのがおかしいのかなぁと誤作動を起こした。
それからも、こんな珍道中は続き、呼吸困難になりそうなほど笑いが絶えない日になった。
わたしは単純な単細胞、Kは脳みそがいっぱい詰まった多細胞。互いにないものをいつのまにか補っていたような1年。
Kのような天才は、東大へ行くんだろうなぁと眩しい存在。富裕層の息子でいつも最新のゲーム機を持っていた。父上、母上も絵に描いたお上品なかた。
「庶民のわたしとは違うなぁ」
そんなKと一緒に居られるのが、少しだけ自慢。
給食の時間は無言で食べるのが規則だった。
でも、Kが話しかけてくるので
「しーっ」口元に人差しを立てて、
「仲がいいね」付き合ってるの?とよく言われた。
中学の近くにあった文房具屋へ寄り道して、
15人?20人ぐらいで買い食いしていたときも、Kはいて、くだらない雑談をするのも楽しみだった。
頭がいい人は視野が広く、好奇心旺盛で、屈託のない笑顔が魅力的だと思っていた。
「どうしてそんなに知りたがるの?」
Kへ尋ねると
「本当かどうか知りたいと思わない?」
綺麗な標準語で返ってきた。
それも高校に入学すると、Kのことをすっかり忘れて、Kがどこの高校へ進学したかすら知らなかった。
部活が終わると、わたしは友達と歩道へ広がり
「ハンバーガー食べる?」「いいね!」
「CD、見たい」「いいね!」
「本屋、寄りたい」「いいね!」
アホアホトークで盛り上がる前に、車高が低いヤンキー御用達自動車が数台停まり、気にも留めなかった。
「ももまろ! ももまろ!」
金髪にジャラジャラ耳や首へ飾りをつけたKが、
わたしへ手を振ってきた。
(は? アンタ、何やっとん?)
すっかり、Kは広大附属か修道へ行くと思ってた。
シャコタンから手を振るKを見て、誰も知能指数が学年一高い、天才だと思わないだろう。
とりあえず進学校の生徒だったわたしへ、
同級生や先輩達の突き刺さる視線が注がれる。
(K! 名前を呼ぶんじゃねぇぞ)
剣山の上へ正座をさせられるような、消えてしまいたい、透明になりたいと思った。
歩道に溶けて消えたいぐらい、恥ずかしかった。
Kが本当かどうか知りたいことって、社会の裏側で
底も含まれていたのか……。
「車高の低さは知能の低さ」
誰がそんなことを言ったのだろう。
うちは公立中学でも医者や弁護士、教授などを親に持つ子ども達が集まる学校で、そんな家庭の子より遥かに知能指数が高いKはシャコタンに箱乗りしながら、「ももまろ〜!」両手を振っていた。
Kの好奇心はヤンキー界へ向かったのか。
あんなに頭がいいのに、もったいないような、人の望みって分かんない。Kは現在、実業家として活躍している。
もし、東大や医学部へ進学していたら、どんな大人になっていたのか、見てみたかった。
デッサンなど、特定のワードを耳にするとKを思い出してはニヤッとする。