繊細すぎる人の繊細な事情
来週辺りが創作大賞の一次発表で
先週、note街でセンセーショナルな議論があったのを加味して、今日は考えてみる
創作大賞へはハムスターの“キンクマ”を主人公にした小説を出した
一次発表を前に、落選は分かるので
「キンクマ、ごめんね」
わたしのスキルが足りないから、ごめんね
だけど一生懸命に書いたんだよ、言い訳している
わたしが書いた小説は
奥さんに死なれ、寂しさから手を出した女に騙された男が、話ができるペットに助けられ、対話をしながら立ち直っていく話だ
たったこれっぽっちで5万字以上を使い
今思えば、誰が興味を持つんだろうと思う
ペットのハムスターが話をするなどあり得ないし
自分の話や身の上に親身に寄り添う人などいない
専門家を頼ったとして、苦しみは自助努力でしか
自分を回復できないのだから
どんなにハムスターへなりきる努力を積んでも
読者が読みたいと思う小説しかニーズはない
noteであれば、審査員が読みたいと感じるタイトルと内容で、審査員が選ぶ傾向を分析して創作すべきだったと思う
書籍にしたら買ってくれるだろう物
わたしの家族はネコで、うちのネコは賢いのか
悲しみにいるとわたしの側にいて
ジッとわたしの顔を見つめている
「この子が話せたらどんなにいいか」
そんな夢を小説の主人公へ馳せてみた
ここが文章より致命的にダメだと思う
話題性がない、映像化にしくい、売れそうにない
差別化されてない、独創性がない
スタイリッシュでもなんでもない
共感、感動や新しい発見、癒やしや笑いが全くない
わたしが書いた小説から得はしない
産みの苦しみを経て
頑張って書いたつもりになっているので
スキルがないクセに落ち込む
他人の政治観や所属する宗教
友達の性行為や暴力や前科より、人の幸せ
「一次通過した!やった!」
これもなかなかセンシティブだよ
大学受験のとき
咄嗟に「おめでとう」が言えなかった
若い頃は、誰かが出世した報告で脱力感を覚えた
報告を聞く側の問題なので
相手へ配慮しろとも言えない
祝福するのは人として当然の在り方
「嫉妬するから言わないでください」とならない
おめでたい報告へ前置きしろと言えない
日常では、おめでたい話題もセンシティブな表現として扱っていいと感じることがあり
受け取る側の状況や感情に配慮すりゃいいじゃんというシーンに出くわすと
「空気を読んでよ」
おめでたい報告の裏では
傷ついた人とそれをフォローする人がいる
傷ついて怒ってくれたら、フォローする側も
まだなんとか会話が繋げる
しかし泣き出したら、フォロー側は無力を感じる
前にこんなことがあった
昼休憩に同僚から呼ばれたわたしは
同僚の流産を打ち明けられた
かける言葉がなくて迷った、その午後
別の同僚が赤ちゃんを連れて会社へ遊びに来た
わたしは結婚や出産に興味がない
よって友人や同僚の結婚や出産は素直に喜べるが
さっき流産の話を聞いていたので
「タイミングが悪いな……」板挟みになった
友人が妊娠や子育てに関して辛い経験をしていると、お祝いの報告が逆に負担となる
お祝いの話題を持ち出す際には
その場の雰囲気や他の人の反応を考慮して
相手の気持ちを理解しながら、共感を示し
報告を受け入れられやすくしてくれたらなぁって
「あなた、ネトウヨなの」「パヨクなんだね」
「へぇ、宗教二世なんだ」
「昨日、彼氏とホテルに行ったのか」
「毒親になじられて辛かったね」
「うつ病とパニック障害なんだね」
初対面でも、当事者じゃないので前置きがなくても
心は自動的にワンクッション置かれる
でも
「一次に残った!嬉しい!」
自分も当事者だから心へグサグサ来て
涙で顔がぐちゃぐちゃになっても
「おめでとう!」
わたし、ちゃんと祝福できるかな
喜びを共有できていないと
相手の幸せを素直に祝うことが難しいよ
特に、自分が苦しい状況にいると
他人の幸せを素直に聞きにくくなる
相手の成功や幸せを見て、自分と比較してしまい
嫉妬や劣等感から祝福の言葉が出てこない
過去にお祝い絡みでトラブルがあったら
テキトーに「おめでとう」だけ言って
相手を避けちゃうかもしれないな
突然の報告に対して
感情を整理する時間が必要なこともあって
訃報同様に驚きや戸惑いから言葉が出づらい
ネガティブだけではなく、ポジティブにも
センシティブな側面を持つ
それをどれだけの人が認識しているのか
謙虚さをどれだけの人が身につけているか
渦中で考えてみた
近日中に「謙虚さ」への思考を投稿する