大義名分の下、放置した
「あなたを見守っています」
昨日ほど、便利なセリフはないと思った
認知バイアスが歪んでいる人には、これでいい
常に「それは正しいのか」疑ってかかる
他人・自己都合になっていないか、反証する
祖母からの教えが、わたしはあまり出来てない
他人からの異論を許さない人は、自慢話が多く
異論は自分自身が攻撃されたと被害妄想に陥る
自分は賢い、他人を見下すのが見て取れる人は
敬語を使えば謙虚であると、思い込んで
それが友人の特徴なんだけどね
友人から病気になったと連絡があった
「どこが悪いの? 医者はなんて?」
友人いわく、病名は双極性障害らしい
病院には行かず
“信頼できる人”から“突然”、診断されたって
友人は、わたしを誘っても飲みに行かないから
うつ病に対して怠け者のように批判した
先週の出来事
それが一転し「俺は双極性障害だった」
「信頼できる人が2〜3日で治してくれた」
素人が判断できる病気じゃないのに
わたしも鬱病なのか双極性障害か判断するのに
リチウムが処方され、経過観察している最中
突然、あなたは病気だと言い渡され
「病院に行っちゃいけない」と言われたそうで
“ある事”で“信頼できる人が治してくれた”という
診断から寛解が2〜3日と、とても早い
そして、わたしも“信頼できる人”と話をすれば
治るのにと言われた
友人はネットワークビジネスや宗教の渡り鳥
次から次へと凝りもせず、同級生からは警戒され
失敗しては、また新しいそれらに身を委ねる
それらの損失は両親がフォローしている
日本には、信教の自由が保障されており
何を信じるのも「自由」
突然、言いがかりのように病名を告げられ
信じるのも「自由」
そして「タイムリーだな」不信感を持つのも自由
「お大事にね、見守ってるからね」大義名分の下
さて、昨日の話は脳内リセットしておこうか
…なんて自分のことだけ考え、放置した