短編: 弱者に向ける正義
車内の視線が敵のように感じられた。
「またか」
内心でつぶやき、自分に対する憐れみが湧く。
手すりにしっかりと掴まり「ヨイショ」
声を出すと、
どこかから「わざとらしい」と揶揄が聞こえた。
3年前、飲み物を買いに入ったコンビニで、私は思いがけない事故に遭った。
高齢者が運転する車が、アクセルとブレーキを踏み間違えた瞬間、私の人生は一変した。
目を覚ますとガラス越しに父が瞼を押さえ、母は別の病室でショックのあまり意識を失っていた。
義足に慣れるのは容易ではなかったが、外出できる喜びを自分に言い聞かせていた。
朝の5時半の電車に乗ると、優先席に座ることができる。だが、ズボンの下は誰にも見えないため、始発まで定期を買い、そこから普通席に移ることにしている。
社会は見えにくい障がい者に対して冷たい。
精神的な病を抱える人々にも同様だろう。理解があっても表面的なものに過ぎない。
人がひしめく車内で誰もが座席に着きたいと思うのは当然だ。見えやすい弱者が優先される中、私のように見えにくい障がい者は、どうしても後回しにされてしまう。
車いすの人々には、明らかに邪魔者扱いの視線が向けられ、優先席は健常者が疲れを理由に座ることが許される。
手すりに掴まり、左右から体重がかかる。両脚が張り痛み出す。
義足を外したくなる衝動に駆られ、この空間で障がい者手帳を掲げれば、少しは楽になるのだろう。
しかし、それをして万が一、SNSに私の姿が投稿されたらどうなるのか。
そんな思いが頭を過ぎる。
人々の無理解や偏見にさらされることへの恐怖が、心を荒ませる。
見えない障がい者の私はどれだけ理解を得られるのか。
「正義とは何か」
人それぞれの価値観が交錯するこの社会で、
私の存在はどのように受け止められるのだろうか。
周囲の人々の疲れた表情、立ち尽くす私の姿。果たして、私の存在は彼らにとって意味があるのか。
目を閉じて深呼吸をする。何かを求めている自分がいる。
だが何を求めているのか、答えは見つからないままだった。
電車は次の駅に近づく。周囲の喧騒が耳に入る。
私はただ、静かにときを受け入れるしかない。
次の駅で降りる準備をしながら、心の中で問い続ける。
「正義とは、何なのか?」
その答えは、まだ見えないままで。