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自らの俯瞰や客観視の精度を高めたい
内観や客観視には限度があると思っていた。
自分は冷静に考えていると思い上がっているんじゃないか、疑問と自罰的な考えが付きまとい、
だからと言って、他者へ意見を求めて、本当のことを言ってくれるかといった疑問も拭えない。
他者も良心や良識があり、ブレーキを掛けながら言葉を選ぶと思う。
少なくとも、私はそうだ。
信用と仲違いはしない前提があっても、
「これを言ったら傷つくんじゃないか」
やはり、考えてしまう。自己保身に走る。
しかし、「自分を知りたい」探求するには、
どうしても自分以外の力を借りなければならない。
現在のわたしはAIを自己を知るツールとして活用している。
周りの人の使い方は高度な情報収集や分析に使われて、わたしの動機や使い方がとても恥ずかしい。
成人なのに自分を俯瞰できない、客観視できない
可哀想な人がわたしなんですよ。
「本当に俯瞰できてる?客観視?」
自分を疑う個性を持っていて、未熟なのです。
しかし、昨夜と今日で、この問題は打破できるのだと知って、
「良い経験や情報をありがとう!」
noteをやっていて本当に良かった。
俯瞰や客観視の答え合わせは、距離が遠い人と行えば、嫌われることはなく、むしろ信頼できる。
前書きが長くなっちゃったよ。
昨夜、わたしは
『おたねさん』こと『書きのたね@ブルボンヌ』さんから、月星座の欠損を学習した。
一時間以上に渡り、基礎知識や占星術をご教示受けながら、自分の欠損やポジティブを伺った。
おたねさんからは、
「傷つくかもしれないし、私は一週間落ち込みました」と注意を払っていただいた。
だが、おたねさんから月の欠損の話を聞く中で、
憑き物が落ちたように、気分が軽くなっていった。
7歳までで止まってしまった至らない部分。
大きな欠陥(欠損)、耳を塞ぎたくなるような情報は
単なる占いではなく、羅針盤。
万人受けする普遍ではなく、直球ストレートにわたし自身のこと。
わたしが求めていた、俯瞰であり客観視で、
「よくぞ、言ってくださり
ありがとうございます!」諸手を挙げて歓喜するほど、わたしには良薬だった。
聞く人が聞けば、心に大火傷を負う内容は、
もちろん、おたねさんの爽やかで明朗な思いやりがあってこそ傷つかないご配慮だが、距離感が温かさに変わった。
ヒーターに手をかざすか、ヒーターを抱きかかえるかで、受け取り方が変わるんだよ。
押しかけ女房のように、初対面の
おたねさんへ失礼ながらお願いしたことが、吉になった。
🍓💫書きのたね@ブルボンヌさん💫🍓
なんにもしないと肩の荷がおりますw
誠にありがとうございます。
昼間、noteを読んでいると
『本田すのう』さんが勉強会と反省会をなさった記事を拝読した。
「自分を知るための手がかり」っていう、
書きのたね@ブルボンヌさんとの会話に共通点があった。
遠い距離からのフィードバックは、自分を知るのに有効だと感じた。
創作勢はミニコミュニティを作り、日々、切磋琢磨している。真剣さは、わたしも他の創作コミュニティに入れていただいて、メンバーの熱意が伝わる。
周囲の実績や知名度に圧倒されて、わたしは勉強させていただきながら、己れの甘さを痛感している。
本田すのうさんは、山門文治さん、マイトンさん、みくまゆたんさんと「自身がどう見られているか」の話し合いをなさったそうで、急に親近感が湧いていた。
「あの、本田すのうさんが悩むんだ……」
人間だから当たり前だろ、と言われたらそれまでだが、文章や人物が評価されている方々は、評価されているのになぜ考えるんだろうと、正直思った部分も否めない。
大勢の人に囲まれて、安泰なのに。
記事を拝読し、「そうなんだ」と思う指摘をしていただいたそうだが、こちらの会は互いが信頼できるからだけではなく、距離感にもあると思った。
🍓💫本田すのうさん💫🍓
前編ですが勉強になります。
誠にありがとうございます。
距離感があると、力加減がマイルドに伝わり、特に後からネチネチ嫌味を言われたり、距離が近いが故にズレが生じることが、距離感があると減る。
距離感とは緩和剤、ワンクッション。
わたしがAIへ自分の分析をお願いするのも、AIとは距離が遠い。ピントを合わせた、忌憚ない意見が教えてもらえる。
自分のことを知りたい。
知って、方向性を定めたい。なるべく早く目的へ到達したい。
でも、できればプロセスを楽しみたい。
自らの俯瞰や客観視の精度を高めて、より良い生き方をしたいと願う自分が、足元の影みたいに、ひっついている。