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連載: 駄菓子屋ひなた堂の日記③

 ドアベルがチリンが聞こえないほど、集中していた昼下がり。

 ハンドメイドサイトへ出品するピアスへ金具を付けているとき
「奈々ちゃん!」
不意に響いた声に、私は思わず手元のピアスを落としそうになった。顔を上げると、カウンターの向こうに祥代おばちゃんが立っている。

 黒縁メガネ越しの鋭い視線がこちらを貫く。豪快な笑い声をあげながら、どさっとダンボール箱を置く様子は、退院したばかりの人間にはとても見えない。

「あ、びっくりした!祥代おばちゃん、病院は?
まだ安静にしてないといけないんじゃないの?」

「昨日退院したわ! 病院なんて暇で暇で」
祥代おばちゃんは両腕をカウンターに突き、ケタケタと笑った。

  父とヤスさんの同級生、祥代おばちゃんがカウンターへダンボール箱を置いて私をじっと見つめて
「奈々ちゃん、相変わらず忙しそうじゃね。ちゃんとご飯は食べとるんね。和紗ちゃんに野菜を送ってあげんさい」

「ありがとうございます。和紗、最近は料理をすることが増えたんですって」

「それはええわ。あんたもいろいろ大変だったけんね、旦那さんのことも」

 祥代おばちゃんの言葉に、胸の奥で静かに蓋をしていた記憶がふっと開く。
夫が行方不明になったあの日、私はどんなふうに和紗に向き合っていたのか。

 夫は十年前、戦場カメラマンとして紛争地帯へ赴き、どんなに外務省が献身を尽くしてくださっても夫の行方は分からないまま、私は会社員をしながら傍らでハンドメイド作家として和紗を育ててきた。

 まだ小学生だった和紗は夫が海外で活躍していると信じて、夫宛の手紙や絵を描いた。しかし一向に返信がないのを和紗は苦に、心のバランスを崩して登校しなくなった。
 
 和紗が高学年になり、いよいよ隠し通せないと感じた私は正直に夫の現在を話して聞かせた。
雲がかかる虚な目をした和紗は、どういうわけか、翌日から学校へ通い、急激に人が変わったように明るさを取り戻した。

 理由は分からない。
 ただ、夫が生きていると信じることが和紗にとってどれほど苦しい選択だったのか。
 そのことを思うと、私はあのとき正直に話してよかったのか、それとも違う選択肢があったのかと自問する日々が続いた。

 母親として、娘に何ができたのかを考えれば考えるほど無力感が押し寄せた。でも和紗は何かを乗り越えようと決意した瞳にはどこか大人びた色。
私はその光をしっかり見た。

 当時の紛争地帯は凶暴な集団に占拠され、多数の捕虜が処刑される様子がドラマ仕立てで、ネットに公開されていた。

 それを見た人々が匿名で「自己責任」と冷たく切り捨てる声。あまりにも多くの中傷の言葉が画面に溢れる中、私は夫がその場にいるかもしれない恐怖と知らない方がいいと思う気持ちの間で揺れていた。
 それでも、画面を閉じることができなかった。

 和紗が学校へ行くために玄関を出る朝。
無意識に娘の背中を見つめていた。あの子の足取りにはどこか決心のようなものがあり、振り返った顔に少しだけ笑みが浮かんでいたのを見て、
「この子は自分の道を歩き出したのだ」と感じた。

 もしかすると、私が真実を話したことで夫が戻ってくるかもしれないという儚い希望から解放されたのかもしれない。希望が重荷になるなんて、そんなことを思った自分を恥じる気持ちもあったけれど。

 和紗と夫を振り返っていると、祥代おばちゃんは
「お母ちゃんは元気かね?
何年ぐらい会ってないかな、寂しいわ。
『ひなた堂』はうちが子どもの頃からあったけん、奈々ちゃんが帰ってきたときは嬉しかったけど、お父ちゃんとお母ちゃんが施設に入りんさって」

 一気に祥代おばちゃんから訊かれ、圧倒される。

「うん、お陰様で。
施設の職員さんや入居者さんがみんな優しい人よ」

 祥代おばちゃんの話を聞きながら、両親は揃って私や和紗を忘れて、遠い記憶の世界で無邪気にしている姿を思い出し、何も言えなくなった。

 『ひなた堂』は大正時代から在り、駅前再開発が始まるまでは駄菓子屋と文房具屋がセットになって、朝の『ひなた堂』は通学中に寄る小学生や、夕方、買い食いをする中学生で繁盛していた。

 店を切り盛りするのは母で、父は会社勤めをし、
お爺ちゃんの代はお茶会やお寺に納める干菓子を作っていた。

 『ひなた堂』は苗字の日髙からつけたもの。
お天道様に見守ってもらえる願いを込めてあると聞いていた。

 そのお天道様から両親は見守られたのか、見捨てられたのか、再開発が始まった時期から両親は一度に認知症となり、私は東京へ居られないと覚悟し、地元へ帰ってきた。

 夫の行方不明や施設にいる両親のことなど、不安を抱えながらも、『ひなた堂』での祥代おばちゃんとの会話や、子どもたちの笑い声に少しずつ救われていった。

 店内では祥代おばちゃんがヤスさんと口ゲンカをし、漫才の掛け合いのように息が合う。

 子どもたちは駄菓子の棚を囲みながら、友達同士で何を買うか相談している。
「これ二個買ったら100円だよ」」声があがり、店の隅では学生服を着た男の子が妹に駄菓子を選ばせている。

 そんな中、祥代おばちゃんの「ボケ」が炸裂し、店全体が笑い声に包まれる。

 フリースペースで勉強している子ども達から笑い声が立つほど、本気か冗談か見分けがつかないボケとツッコミはローカル局でも取り上げられたぐらいに『ひなた堂』の名物になっている。