感動を得ながら生きる僕について
「今日も何事もない平和な1日だった」
29歳のサラリーマンである僕は静止した時計の針なのか、穏やかな日常に身を委ねていた。
人に語る苦労もなく、両親や友人は健康で何不自由なく暮らしている。
しかし心の奥には空洞ができ、物足りなさが広がっていた。
生きている実感が薄い膜に覆われている。
昼休み、公園のベンチに腰を下ろしコンビニ弁当を広げる。周囲の喧騒が耳に入ってくる。
子供たちの笑い声は風に乗って舞い上がる音楽で、カップルのじゃれ合いは甘酸っぱい若さの香りを漂わせている。
老夫婦の手をつないだ姿は時の流れを感じさせる一枚の絵画だ。
穏やかな秋の日差しは明日の雨を予感させることもなく、僕は光景を眺めながら
「僕には波風がない」と思った。
目の前に、小さな女の子が駆けてくる。
幼女は手に持った風船を空に向かって放り投げ、風船は青空に吸い込まれ、次第に小さくなっていく。
「ママ見て!風船はお星様になるのかな」
無邪気に叫ぶ。
心の中に小さな波紋が広がった。
大人になると忘れがちな純粋な発想に心を打たれ
「当たり前の日常の中にこんな素敵な場面があるんだ」
普段見過ごしていた小さな出来事へ目を向けることにしよう。
帰宅後、両親との時間を慈しみ、友人と何気ない会話を楽しむ。
「恵まれた環境に感謝しよう」
僕が不足していたのは感謝の気持ちだ。
仕事でのプレゼンテーションに挑むことになり、緊張感が高まる中、準備を重ね、自信を持って臨んだ。
思ったよりスムーズに進み、結果は成功だった。周囲からの称賛に包まれ、上司から
「キミはプレゼンに向いているよ」と言われた瞬間、初めて自分の成長を実感した。
これをきっかけに日常の中で感動を見つけることを心がけ始めた。
朝の散歩で見かける露に濡れた花々の鮮やかさ、車道沿いの雑草が胸を張るように陽の光を浴びている姿。
生命の逞しさや瑞々しさがそこらじゅうにある。
友人からのLINE、母さんの「おかえり」の声。
平坦な人生の中に埋もれていた感動を掘り起こすと、見えなかった幸せが次々と顔を出した。
ふと、僕は思う。
「幸せはサプライズや大きな出来事の中にだけあるのではない。日常の中こそ感動が隠れているんだ」
感性が豊かになっていくのが日増しに喜びになり、生活の中で小さな感動を見つけることができるようになった。
自分が生かされる有り難みで満たされていく。
僕は見つけた気持ちを忘れないよう、生きる麗しさを見つめ続けようと誓った。
感動は他人の心を打つものではなく、僕自身の内面的な変化や気づきから生まれるものかもしれない。
僕の感じる感動や喜びは、他人に理解されないかもしれない。しかし、それでもかけがえがない。
他人との比較や評価に左右されず、自分の心に耳を傾けると僅かに自分だけの感動を見つけていけるだろう。
いつの間にか腕にてんとう虫が付いて、そっと取り外へ逃す。
てんとう虫は振り払う手から羽を広げていく。
「自由っていいな」
どんなに小さなものであっても
「自分にとって意味を持つ」心の豊かさにつながると思うんだ。
他人には響かないとしても決して無意味ではなく、僕自身の感情や経験を見つめて、僕の物語を紡いでいくのが、人生をよりたわわにする鍵かもしれないと思いながら朝食に箸を伸ばす。
ご覧いただきありがとうございます
誰も傷つけないショートを書いてみました
どこか味気ないと感じるのは、わたしが挫折や失敗してきた人生を背負っているからかもしれません
自分で書きながら、ちっとも共感できません